永禄十年 十一月 堺湊 鍋島直茂
「それはいったいどういう事でしょうか」
私は聞いた。
「はい、堺湊はご存知のように奈良平安の昔から、隋や唐への使臣派遣や貿易、国中の産物が行き交う湊として賑わってまいりました」
私と常陸介どのは真剣に聞いている。
「この戦国の世でもそれは変わらず、畿内、いや日の本随一の貿易の湊だと自負しております。しかし……」
なんとなく、宗久殿が言いたい事がわかった気がした。
「南蛮船が日の本に来て二十年弱。鉄砲、火薬、時計やガラスに中国産の生糸や絹織物、シャムやルソンの産物まで、ありとあらゆる物があふれておりました。国内の物はもちろんです」
私と常陸介殿は黙って聞いている。
「しかし四年前、永禄六年の五月ごろから鉄砲と玉に玉薬、それに材料となる硝石ですが、堺湊に入る量が突然減ったのです。一時的なものかとも考えました。しかしよくよく調べると、平戸松浦様が宣教師を追放したと言うではありませんか」
宗久殿が語気を強める。
「そして一昨年の末、さらに減りました。これはいよいよおかしいと思いました。われらにとっては死活問題です。残す南蛮との貿易港は豊後府内と肥前の横瀬浦、それから新しく島原の口之津です」
「なるほど」
常陸介殿が相づちをうつ。
「平戸も貿易は再開したようですが、その四つのうち三つを小佐々様が治めているというではありませんか。しかも年々豊後府内の貿易量は減っております」
「ふむ」
「そこで、なんとかつてを使って博多の神屋宗湛どのや島井宗室どの、さらには平戸の平戸道喜どのを頼りました。しかしほとんどが三者の専売で、莫大な量を取り扱っております。われらが入る隙間がございませぬ」
私は常陸介殿を見るが、常陸介殿はもう宗久どのの意図を感じ取っているようだ。
「鉄砲は国友をはじめ堺でもつくっておりますから数は足りまする。しかし玉も玉薬も全く足りませぬ。その数少ない玉と玉薬に、原料の硝石の値が途方もなく上がっております」
宗久殿の顔がだんだんと悲壮感漂うものになっていく。
「皆さまから急かされてはおりますが、ない物はないのです。どうか、お三方に渡りをつけていただけませんでしょうか?」
今井宗久どのはかなりせっぱつまっているらしく、堰を切った様に話し始めた。
わたしも、常陸介どのもそうだろうが、頭の中でしっかりと繰り返しながら考える。
「なるほど、お話よくわかりました。しかし、事は重大です。いかな御用商人とは言え、わが殿の裁可もなく決める事は出来ませぬ」
当然だ。
「ふううん」
ため息とも相づちともとれぬ、なんとも言えぬ声を発しながら、考えていた常陸介どのが宗久殿に聞いた。
「その見返りとして、宗久殿はわが小佐々になにを与えていただけるのでしょう?」
「されば畿内の中心堺湊の会合衆。朝廷をはじめ幕府はおろか、三好松永、六角、山名、大小様々な大名家とつながりがございます。これから先、小佐々様が畿内にでてくるおつもりなら、ツテは多いに越した事はありません」
人脈がある、という事だろう。
「なるほど」
と相づちをうった後で「織田、上総介様とも懇意にしておられるか?」と常陸介殿は聞いた。
「もちろんにございます。面識はございませんが、先代信秀様とは何度か取引いたしました。今井の使いといえば、門前払いはないでしょう」
常陸介どのは少し考えている。
「なるほど、わかりました。わが殿にはそのようにお伝えし、三人と交渉できる様に計らいましょう」
「ありがとうございます! このご恩、必ずお返しいたします」
宗久殿は手を合わせ、拝み倒す様な格好で感謝している。
「常陸介どの! よろしいのですか? そのように安請負して」
「よいのです」
「宗久どの。話を通すとは言ったが、どれほどの量、いかほどの値というのは商人同士の話になるから、そこまでは責任もてませぬぞ。それでもよろしいですか?」
「もちろんでございます」
宗久殿は襟を正し、笑顔で返事をしている。
「左衛門大夫どの、わたしはここ畿内において、外交の全権を殿から委任されているのです。そして、織田様へのツテと三人との交渉の話、同等の価値がございます。心配なさらずとも、左衛門大夫どのには一切責任ありませぬ」
常陸介どのはニコニコしている。
「別に心配などしておらぬが、少し気になっただけにござる」
あわてて言ったが、驚いたのは確かだ。
「では宗久どの、上総介様への紹介状を頼みますよ。こちらからは文を、殿と三人に出しておきます。遅くとも二月とかからず色よい返事が来ましょう。それから三人と詳細をご相談くだされ。いいですか、念を押しますが、詳細は宗久どの次第ですぞ」
常陸介どのはそう言って、かたわらのとっくりからおちょこに酒を注ぎ、ぬるくなった酒を飲み干した後に、新しい酒を頼んだ。
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