安政六年六月六日(1859/7/5) 江戸城 御用部屋
「掃部頭様、小栗又一、お召しにより罷り越しましてございます」
「うむ、よくぞ参った」
井伊直弼がオールコックの提案にどう答えるか迷っている中呼び出したのは、史実では大村益次郎をして、幕府が上野介の言うとおりにしていれば我らは命がなかった、と言わしめた小栗上野介(又一)である。
「実はの、先の不時登城の件であるが、罪一等を減じる事となった。まあ、勅となれば、従うほかあるまい」
「はは」
「その後、反対派を如何にするかと考えておった矢先に、英吉利のオールコックという者が、内々に訪ねてきたのだ」
直弼はゆっくりと、上野介の理解を確かめながら話をする。
「オールコックというと、総領事で、かつ公使となる予定の男でございますな」
「うむ」
上野介の言葉に直弼は小さくうなずく。
「そのオールコックがの、このわしに案を提じてきたのじゃ。水戸や尾張、薩摩に長州、越前や土佐などの力を弱め、これまでの通り譜代が政を行えるような策という訳じゃ」
上野介は黙って聞いている。
「英吉利の武器や軍艦は世界で最も強力であり、その武器の輸入を優遇すると言ってきおった。加えて各国からの武器の購入を公儀以外に禁じれば、何もせずとも公儀の力は強まるのでは、とな。……又一よ、お主は如何思う?」
上野介は深く考え込むような表情を浮かべたが、しばらく沈黙した後に、答えた。
「愚策にございます」
「ほう?」
「一見良いように見えますが、利害の比を考えますに、明らかに害の方が多うございます。第一に、間違いなく諸大名が大いに抗いましょう。公儀に弓を引くとなれば成敗せねばなりませぬが、無用の戦は避けねばなりませぬ。第二に、英吉利にばかり頼り善く遇すれば、必ずや米・蘭・仏・露と外様が結びましょう」
加えて、と上野介は続ける。
「確かに英吉利は世界で最も力を持っておりましょう。然りながら亜墨利加や仏蘭西がそこまで劣っているとは思えませぬ。英吉利の事を英吉利人が言うておるのです。話半分に聞くのがよかと存じます」
直弼は上野介の言葉に深くうなずいた。その表情には上野介の洞察力に感心している様子がうかがえる。
「ふふふ、さすがよのう。お主の言う通りだ。確かに諸大名との対立を深めるのは得策ではあるまい。また、英吉利一国に頼るのも危ういの」
直弼は少し間を置いてから、さらに問いかける。
「では又一よ、お主はどのような策を取るべきと考える?」
上野介は少し考え込んでから、慎重に言葉を選びながら答え始めた。
「第一は、禁ずるのではなく、許しが要るようにするのです。然すれば何処の家中が如何なる武器を、如何なる軍艦を如何ほど持つか、持たざるべきか、すべて公儀が差配すること能いまする。こちらは、すでに結んだ条約の附録にでも加えておけば良いでしょう」
「うむ」
「次に武器に関してでございますが、某、海軍は英吉利が強く、陸軍は仏蘭西が強いと聞き及んでおります。然れば、軍艦ならびに海軍軍制は英吉利または亜墨利加、陸軍は軍制も含めて仏蘭西式に統一すれば、おそらくは日ノ本で公儀に敵う軍はないかと存じます」
直弼は満足そうに上野介の言葉に耳を傾けている。
「加えてもっとも重しは、軍備にあらず」
「なんだ?」
「富国強兵にございます。如何ほど軍艦や軍備をそろえても、いつまでも買っていては話になりませぬ。自ら造れるようになり、加えて国の産業を富ませ、公儀の勝手向きを良くしなければ、たちどころに頓挫いたすでしょう」
財政問題に関しては幕府において吃緊に解決すべき課題であった。
「では如何いたす?」
上野介は深く息を吸い、さらに詳細な説明を始めた。
「掃部頭様、まずは国内の産業振興に力を注ぐべきかと存じます。特に、外国貿易で利益を得られる品々の生産を奨励し、その品質向上に努めるべきでございます」
直弼は興味深そうに聞き入っている。
「例えば生糸や茶の生産を拡大し、質を高めれば、外国との貿易で大きな利を得られましょう。そしてその利を元手に、近代的な工場や造船所を建設し、徐々に自前の工業力を育てていくのです」
「ふむ」
「次に、諸大名の力を結集する方策を考えるべきでございます。公儀が主導して、各家中の優れた人材や技術を集め、国の総事業を立ち上げるのです。例えば大がかりな造船所や製鉄所の建設などを、諸大名の協力の下で進めれば、国力の増強と同時に、諸藩の団結も図れましょう」
直弼は深く考え込む様子を見せる。
「さらに、教育の振興も重要でございます。洋学や実学を重視し、近代的な知や技を持つ人材を育成することで、長い目で国力の向上を図るべきかと存じます」
上野介は一息つき、最後にこう締めくくった。
「そして、これらすべてを統べ、無駄のないよう進めるため、公儀の仕組みも変える要ありと存じます。旧来の組織にとらわれず、新たな部局を設けるなどして速やかに、かつ果のある策の立案と実行を能うようにすべきかと存じます」
直弼は長い沈黙の後、ゆっくりとうなずいた。
「よくわかった。お主の案には大いに理があるな。然れど最後に聞きたい。これを行うには外国から技師を招き、様々な技術を供してもらわねばならぬが、何処の国からいたすのだ?」
上野介は直弼の質問を受け、慎重に言葉を選びながら答え始めた。
「掃部頭様、その点に関しましては、仏蘭西との関係を深めるのが最良かと存じます」
「ほう、仏蘭西か」
「はい、複数の国から技術を取り入れるのが賢明かと存じますが、1つの国を中心に据えるとすれば、仏蘭西が良いのではないかと考えます」
直弼はさらに掘り下げて聞いた。
「ほう、何故に仏蘭西なのだ?」
「はい。仏蘭西は英吉利と並ぶ強国でありながら、日本に対する野心は英吉利ほど強くないと思われます。また、英吉利に対抗する勢として、我が国との関係構築に興味を示すかもしれません」
上野介は続ける。
「加えて英吉利一辺倒ではなく、仏蘭西とも関係を築くことで、より柔軟な外交が可能になるのではないでしょうか」
「うべな(なるほど)。然れど、仏蘭西の技術力はどうなのだ?」
と直弼。
「その点については、まだ詳しいことはわかりませぬ。然れど英吉利に比する仏蘭西の軍事技術は必ずや参考になるはずです」
「ふむ、して……まずは造船所が要る、と?」
「はは」
直弼の顔が歪む。
「お主の言うことはもっともだが、それに莫大な金がかかろう? 造船所しかり軍事支援しかりじゃ。如何にして金を工面するのだ? 殖産興業としても、金になるまで時がかかろう?」
上野介は明快に答える。
「掃部頭様、確かに莫大な費用がかかりますが、これは借款をもって充てるべきかと存じます」
直弼の眉が上がった。
「借款だと? 外国に借りを作るのか?」
「はい。確かにさじ加減を間違えれば危ういものにございますが、大きな利もございます。例えば仏蘭西から借款を得られれば、資金だけでなく、技術や知識も同時に得られるやもしれませぬ」
上野介は続ける。
「借款で得た資金は、まずは国内の基盤整備に充てるべきかと存じます。例えば、造船所や製鉄所の建設、そして技術者の育成などです」
直弼はうなずきながら聞いている。
「これらの施設で、当初は国内需要を満たす程度の生産を行い、徐々に技術と生産力を高めていくのです。同時に、生糸や茶といった既存の輸出品の品質向上と増産にも力を注ぎます」
「ふむ」
「これらの輸出品による収益を、借款の返済と新たな投資に充てていくのです。そうすることで、少しずつではありますが、自前の工業力を育てつつ、借款も返済できるのではないでしょうか」
上野介は続ける。
「もちろん、これには時間がかかります。すぐに成果は出ませんが、着実に進めていけば、必ずや国力の増強につながるはずです」
「うべな(なるほど)。あい分かった。実に素晴らしく有意義な考えであるな。又一よ、勘定奉行の席があいたゆえ、また補佐をつけるゆえ、外国奉行と兼任でやってみぬか」
直弼は満足そうである。
「ははっ。有り難き幸せにございます。加えて最後に……」
「なんだ、まだあるのか?」
直弼は少し驚いたようである。
「西国の、肥前大村家中の事にございますが……」
途端に直弼の表情が変わり、誰が見ても機嫌が悪そうである。
「大村家中が、如何した?」
「は、彼の家中においては、殖産興業を成し、自ら軍艦を造る造船所を持ち、伝習所の卒業生いわく、まるで異国のようだと申しておりました。これは由々しき事態なれば、目付の数を増やし常に監視するべきにございます。また技を取り入れるは外国より容易にございましょうから、この公儀を主とした(譜代中心)の政策に協力させる事が肝要かと存じます。造船所の建造も……」
……。
2人ともそれが如何に難しいかをわかっていたため、しばらく無言の時が流れ、上野介は下城した。
次回 第235話 (仮)『勘定奉行並びに外国奉行小栗上野介、彼を知り己を知れば百戦殆からず』
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