第414話 宇田川松庵のボイルの法則

新たなる戦乱の幕開け
宇田川松庵のボイルの法則

 元亀元年 九月二十日 肥前 

 昨年の永禄十二年十月に、太田和忠右衛門藤政と源五郎秀政が水銀による大気圧の発見、ポンプによる真空の作成や空気圧の原理を実験で立証した。

 その後、宇田川松庵も忠右衛門と源五郎秀政の実験を参考にして、大学の研修室で空気ポンプを完成させたのだ。

 忠右衛門(物理学・数学)と一貫斎(物理学・工学)は、博士号を取得するような努力家で叩き上げだったが、大学で講義するのはまれであった。

 現在ではあまり聞かないが、近代の学者というのは分野をまたいで研究していた人が多い。たとえば最近、宇田川松庵は現代でいうところのボイルの法則を発見した。

 そのボイルは化学者で物理学者だったが、影響を受けたオットー・フォン・ゲーリケやガリレオ・ガリレイ、フランシス・ベーコンなどがいる。

 オットー・フォン・ゲーリケは物理学者で工学技師(工学)、ガリレオは数学、物理学、天文学、哲学など。多分、研究分野や知識のところで重なる部分が多かったのだろう。

 現代は、基礎科学や基礎知識の底上げが中学校や高校で出来ているので、大学で専攻したものを研究するという流れなのだろうか?

 しかし物理学ひとつとっても、たくさんある。

 理論物理学と原子核物理学・物性物理学・宇宙物理学・分子原子物理学・高エネルギー物理学・レーザー物理学といった実験物理学。

 コンピューターを利用した計算物理学など、わけがわからん。

 物理学全般をひろーく浅く、そして専門の宇宙を専攻して、宇宙物理学なんだろうか? 純正は前世では高卒なのでよくわからない。あってる?

 月に一度、研究成果というレポートのようなものを出してもらっている。純正は様々な研究分野に投資? をしているが、その内容と進捗がわからなければ無駄金になりかねない。

 ここでいう投資とは、各省庁に割り当てられている予算ではない。いわば特別予算のようなもので、枠を設けて資金を投下しているのだ。

「おい。おい! おい! !」

 居室でコーヒーを飲み、サンドウィッチを食べながら純正が怒鳴った。

「「え? なに?」」

 驚いて純正の方を振り向いて答えるのは源五郎秀政と九十郎秋政の従兄弟二人である。

「なんだこれ、温度を一定に保って体積を変えると、気体の状態はpV=aの双曲線で表すことができます。これは~」

 純正はレポートの冒頭の文を読み、意味がわからないから説明しろと言う。

「ああ、これは先日の宇田川君の……」

 と領立天文観測所所長の秋政(六分儀をつくった人)。

「そうそう、気体の圧力と体積の法則ね」

 相づちをうつ秀政(真空ポンプの実験と、コークスのビーハイブ炉を忠右衛門と完成させた人。領立物理学研究所所長)。

「うん、彼はすごいね。この前はフロギストン燃素説や酸素説を提唱していたでしょう? ちょっと追い越されそうで怖いな」

 と松庵に対する評価をする秋政。

「なあに、大丈夫だろう。なんせ俺たち天才だから! あははははは!」

 天真爛漫で、楽天家の秀政。

「おおおおおおおい!」

「ああ、ごめん平ちん」

「怒んなよ純ちん」

 古今東西、500万石を超える太守をあだ名で呼べるのはこの2人だけかもしれない。もし晩年純正が暴走した時、諫められるのもこの2人だろう。

 秀吉でいう秀長か?

「これはね、つまりpV=a(p:気体の圧力(Pa) V:体積 a:気体の量や温度に依存する定数)を定義したものなんだよ」

 秋政が説明する。

「ん?」

 純正はいまいちピンとこない。

「だから、例えば~」

 秀政が身振り手振りで、気体の圧力は体積に反比例する、密閉された中で押し込まれた空気は体積が減り、圧力が高まると言うことを説明する。

「ああ! ボイルの法則ね! なんかそんな実験した記憶あるぞ!」

「「! ? どういう事?」」

 2人が詰め寄る。

「え? いや何でも……何でもないよ」

「なんでもない訳ないだろう? そういえば前も、そうだ、俺たちがポルトガルから帰ってきたとき、部屋で3人で飲み直ししただろう? その時も、コペルニクスの地動説って!」

 秀政が語気を強める。秋政はなんだか不安そうだ。六分儀のアイデアを出した時も危なかった。

「いや、誤解だよ誤解、勘違い。そんな事言ってないし、その……法則も、前に研究室に行った時にみたんだ」

「嘘だな」

 秀政は断言した。

「コペルニクスの地動説は20年も前の学者だけど、この日ノ本で誰が知ってる? それからコペルニクスって名前も、地動説っていう学説もだ」

「記憶にないなあ。そんなこと言ってないし、だいたい3人とも、酒飲んでいただろう?」

 純正は無理矢理話題を終わらせようとした。

「そんな事よりも、そんな事よりもだよ、この体積だか圧力の法則が、なんの役に立つか? って事だよ。何の役にたつ?」

 2人はしぶしぶ納得させられたようで釈然としないが、純正のその一言で表情が変わった。

「殿、われわれは発明家ではないのです」

 真顔で秀政が言う。

「後付け、順番が逆になりますが、なぜ大砲の弾や鉄砲の弾が飛ぶのかおわかりですか?」

 いつのまにか友達ではなく学者の顔に2人がなっている。

「え、そりゃあ火薬の爆発の威力で……」

「火縄から、ああもう火縄は使ってませんね。燧発式の石から火花がちって砲身内の火薬に点火されます。そうすると火薬は勢いよく燃えてガス、この周りにただよっている空気とは違う物体が膨張して圧力が高まり、弾が押し出されて飛んでいくのです」

 理路整然と話しだす秀政。

「具体的にその比率を計測して実証したわけではありませぬが、そう考えれば合点がいくのです。これこそ、その松庵の法則です。人類は火薬を発見、発明してから何百年も試行錯誤して砲を生み出しました」

 秀政の琴線に触れたのか、まだ続く。

「軍事には詳しくありませんが、最初の仏狼機砲、ですか? それと今のカルバリン砲では、カルバリン砲の方が同じ大きさや同じ火薬の量、同じ弾の大きさでも飛ぶでしょう? なぜですか?」

「それは……」

 純正はガス漏れがしないので、と言おうとしたが、止めた。

「どうしても火薬のガスが漏れるからです。それゆえ先人達はよりガス漏れしないようにと考え、今の先込め式に戻ったのです。これは経験則であり科学ではありませぬが、気づきなのです」

 純正はなんとなく、いわんとしたい事がわかってきた。

「科学とは言わば気づきの連続なのです。その気づきの連続が新しい気づきとなり、新しい物をつくりだしていくのです」

 要するに、すぐに結果を求めるな、という事なのだろう。

 確かに、一貫斎はライフルの研究をしているが、今のままだと先込め式のパーカッション式ではないミニエー銃(弾だけミニエー)で終わる。

 それでも十分にこの時代では先進式であるし、簡単には真似できないだろう。

 しかしその先は、雷管や雷汞の発見がないと無理なのだ。雷汞はたしか、なんとか水銀。くわしくは知らない。

「わかった。すまなかった。しかし意味がわからないと判断できぬから、もう少しわかりやすく書いてくれ、と伝えてくれるか」

 2人はなんとか納得した。純正の転生人疑惑は、なんとか煙にまけたようだ。

 確かにボイル・シャルルの法則があったからこそ、物理学分野では絶対零度が発見された。温度という概念と定義ができあがり、熱力学が発展した。その延長線上で量子力学が誕生したのだ。

 またボイル・シャルルの法則があったからこそ、質量保存の法則や様々な法則が発見される。

 すべてはつながっているのだ。

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