天正元年 三月二十五日 越後 春日山城
「御実城様、出立の支度、整いましてございます」
時は今 春の露見し 軍兵と いざ我ゆかん 以後の和のため
これも、この世界の後世に残るかわからない。
上越と春日山城周辺の軍勢の集結を聞いた謙信は、白綸子紗綾形雲文胴服から素懸白綾威黒皺韋包板物腹巻に着替えた。
城下に集まった将兵と一緒に『出陣の儀式』を行うのだ。軍を整列させての検閲である。
身につけた腹巻は自作ではなく、謙信が上杉憲政から譲り受けた物である。
兜の前立(前面にある立物、ざっくり言うと飾り)に、前にしか飛ばない事から『勝虫』として好まれた蜻蛉が施されている。
また、全身をくまなく覆って防御力を高めているが、それでいて機動性もある実戦的な一領だ。
「皆の者、よいか! われらはこれより越中に出で、神保の求めに応じて一向宗と一戦を交える。われらに敵なし! 速やかに敵を平らげ、越賀を静謐たらしめん!」
おおおおお! という大歓声のもと、総勢二万八千となるであろう軍勢が(越中への途上で増える)行軍を始める。
越中神保長住の居城である増山城までは三十九里(約153km)。一週間の距離である。到着予定は四月一日。
■加賀国 金沢御坊
なほなほ(いよいよ) 上杉働きなば(動いたならば) 善く 越中の 門徒と 合力し 臨むべく候
小佐々との誼の儀 是非に及ばず候
以後信長と臨む時が為、また上杉と臨む時が為に要すと存じ候段
加賀におひては 委細一任いたしてをれば 存念の通り 働くべく候 恐々謹言
三月十九日 顕如
杉浦法橋(玄任)殿
杉浦玄任はこの本願寺顕如の文をみて、京の大使館宛に『こちらこそよろしくお願いします』の意の返書を送った。
加賀の一向宗と信長は直接戦ってはおらず、越後も平定したばかりで安定していない。
石山本願寺と信長は和睦を結んでいるので、何の理由もなく、加賀に攻め込んでくる可能性は限りなく少ない。
今回の謙信の越中侵攻は、織田と本願寺を開戦に導く要素になりえないのだ。
現状としては、ひとまずの敵である朝倉を滅ぼしたので、紀伊と和泉、そして伊賀の平定や統治に移るだろう。
そう玄任は考えたのだ。
「申し上げます! 謙信が陣触れを出し、越中に入るとの報せにございます!」
「あいわかった! 急ぎわれらも陣触れを出し、越中へ入りて合力いたそう。越中が抜かれれば、次は加賀ぞ!」
「はは!」
謙信の兵力は二万八千、神保と椎名を入れれば三万二千にはなるが、一枚岩ではない。本願寺勢は加賀の二万と越中をいれて二万二千五百。
謙信を相手取るにはかなり厳しい兵数ではあったが、それでもここで止めなければ、加賀は一揆の持ちたる国ではなくなってしまう。
蓮如以来、100年近く保ってきたものが崩れ去るのだ。
決死の決意と共に、玄任は返書とあわせて援軍・援助の依頼を純正に送るのであった。
■越後 寺泊
「何だって? おい! それは一体どういう事だ?」
店先でガタガタと震えている手代に向かって、番頭が少し語気を強めて聞いている。
「……海賊です。あれは海賊に違いありません」
「海賊? バカな事を言うでない! ここいらの海で海賊なぞ、何年も見たことなどない。見間違いではないのか?」
手代は越後寺泊の商人である外山茂右衛門の店の者である。
天文十一年(1542)夏、佐渡で鉱山を発見以来、越後寺泊の商人である外山茂右衛門は、鶴子沢上流で銀山を開発していたのだ。
そのため、佐渡の沢根から寺泊との間で、銀の積み出しと物資の搬入のための航路が急速に発展している。
「番頭様! 番頭様! 今、そこの米問屋さんでも、海賊の話が出ております!」
「なんだと?」
一人の証言なら見間違いで済む。
しかし複数人が見ているのなら、見間違いで済ませる事も出来ない。
番頭はそれを店主の外山茂右衛門に伝え、茂右衛門は商売仲間の越後屋五郎左衛門(蔵田五郎左衛門)に伝えた。
「越州屋(外山茂右衛門)さん、それは誠の事ですか?」
五郎左衛門は、いぶかしがって茂右衛門に確認した。
五郎左衛門は越後国直江津の商人で、屋号は『越後屋』である。越後青苧座を統轄している上杉家の御用商人だ。
「私は自分が見たものしか信じませぬ。それでもうちの手代をはじめ、周りの店でも同じ話を聞いております。すべてを信じる、という訳ではありませぬが、お城に報せはしておいた方がいいのではないでしょうか?」
対する茂右衛門は少し不安が入り混じった表情で答えた。
「そうですね。憂いに終わればそれでよし。誠に海賊ならば由々しき事にございますからな」
■越後 本与板城
「何? それは誠か? 誠に海賊が現われたのか?」
城主の直江大和守景綱は二人の商人に聞いた。
景綱は上杉家の重臣であったが、高齢のため今回の出陣には娘婿の直江信綱を同行させていたのだ。
「はい。誠にございます。私が直に見た訳ではありませぬが、手代を始め、数名が見ております」
茂右衛門と五郎左衛門は顔を見合わせて言う。
「左様か。もしその方らの言うておる事が誠であれば、由々しきことであるな。それで……他に、何か気づいた事はないのか?」
「……」
「然れば申し上げまする」
「うむ」
「実は……手代が言うには、よくよく話を聞いてみたら、海賊のようでもあったと。ただ、帆に紋のようなものが見えた、と申しておりました」
「紋、だと?」
「はい」
「如何様な紋じゃ?」
「それが、その、ここいらではあまり見ない紋なのですが、四角を四つ縦横に並べたような紋なのです」
「何? 四角を四つ? ……よくわからぬな。これ、墨と筆を持って参れ」
景綱は近習に墨と筆を持ってこさせ、それを二人に渡して絵を描かせた。
「これは……これは、平四つ目ではないか」
「平四つ目、とは?」
二人はよくわからず、景綱に尋ねる。
「平四つ目は京極氏の家紋じゃ。それに出雲の尼子も使っておったが、しかしこれは……京極も尼子も、今は衰えて久しい」
「では誰がなにゆえに、使ったのですか?」
商人の二人は理解ができない。
「ふむ。ふむふむ……。なるほど、そうか。やはり御実城様は軍神であられるな。千里眼ここに極まれりじゃ」
「いったいどういう……」
さらに訳がわからなくなった二人である。
「案ずるでない。すでに御実城様が解く術(解決策)をお持ちであるゆえ、越州屋に越後屋、他の主立った商人にも伝えておくがよい。そうであるな、七日、いや十日は船を出すなと申し伝えよ。そのくらいならば佐渡との行き来も問題なかろう?」
訳がわからないまま、謙信が解決するとの答えを聞き、二人は城をあとにした。
「ふ、ふふふふふ。では、御実城様の手はず通り動くといたそう」
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