同年 十一月 武雄城 後藤惟明
義父上である後藤貴明の命令は絶対である。私が反抗できるはずもない。私は後ろ盾を失った、ただの十九の居候である。しかし、此度ばかりは……。
「義父上! いらっしゃいますか?」
私ははっきりと在室を確認し、「入れ」という返事と、小姓が障子を開けるのを待ってから中に入った。
「如何した?」
妙に落ち着いている。
「義父上、須古に攻め入るというのは、誠ですか?」
お願いだ、嘘だと言ってくれ。
「……。そうだ、それが如何した?」
私の聞き間違いか? 本当に攻め入るのだろうか?
「お止めください、義父上! 須古の平井は我が妻の父。そして何より、時に仲違いする事はあれど、これまで共通の敵龍造寺と相対してきたではありませんか」
正論だ。私が言っている事は間違っているのだろうか?
「そうだ、正論だな」
良かった。
「それでは、考え直していただけるので?」
「惟明よ。これから、如何いたすのだ?」
「如何なる事にございますか?」
「有馬・大村の勢も、須古場城を助けに向かっていると聞く。今我らが助ければ勝ち目はあろう。よしんば動かずとも、互角かもしれぬ。こたび、……龍造寺に勝てたとしよう。来年はいかがだ? 再来年は? 五年後十年後は如何なる事の様(状況)であろうか」
「それは如何なる意味でしょうか?」
「……いつまで続けるのだ? 我らはここ数年、杵島郡、藤津郡、彼杵郡、狭き土地をめぐって争ってきた。武雄に攻め込まれる事はなかったが、新たに安寧の土地を手にする事能うたか? 能わぬではないか。事の様は悪くなる一方だ」
「……それは」
「それに比べ龍造寺はどうだ? 水ヶ江の一領主でしかなかったのが、本家を喰い少弐を喰い、今では肥前一の勢力となっておるではないか。龍造寺はこれからもっと伸びるぞ」
これも、間違ってはいない。連合しても難しいのはもちろん、単独で龍造寺と渡り合える勢力などいない。
「されど、龍造寺についたとして、我らに安寧が来ましょうや? 野心あらわにして、我らを潰しにくるかもしれませぬぞ?」
「そうかもしれぬ。されどそれは、今ではない。もう、何も言うな」
「は」
私はそれ以上何も言えなかった。所詮、今の私はこの程度なのだ。
「そうだ惟明。そなた、兵千五百をもって、宮の村を攻めよ。わしは二千で須古に向かう。龍造寺とあわせて八千、いや周辺の豪族も味方するであろうから、一万にはなろう。ふふ。昨年は龍造寺の邪魔が入ったが、此度は誰もおらぬ。純忠も須古に兵をだしておるゆえ、そなたでも容易に攻略できよう」
「委細、承知仕りました」
私は落胆とも取れる様な声でそう答え、部屋を出た。
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