天正二年 一月十四日(1573/02/16) 近江国蒲生郡 武佐宿村 小佐々織田合議所
年が明けて天正二年、純正は朝廷への新年の挨拶と義父への挨拶を終え、合議所にいた。藤子と娘の篤は二条晴良宅に預けている。
小佐々織田合議所という仮称だったが、そもそも徳川や浅井をはじめ、武田も同盟軍の一翼である。
『日ノ本大同盟合議所』と名前が変えられ、看板が掲げられていた。
「久しいな、一年ぶりとなろうか。治三郎(純久)」
「は、昨年の三月、上杉戦の前にございました。その節は御助力いただき、感謝いたします」
京都の大使館に常駐している純久は、常に信長と会っているように見えるが、合議所が作られてからはそうではなかった。
信長いわく、あの大使館の雰囲気が好きだったようだ。
本当かどうかはわからない。
「なに、われらは何もしておらぬ。そうであろう、権中納言殿」
「ははは、兵部卿殿がそう仰せならば、ありがたき事にございます」
にこやかな雰囲気のなか、どこか緊張感のある会話である。
正四位下参議兵部卿の信長と、従三位権中納言近衛大将の純正の会話だからだ。二人はいわゆる、公卿と呼ばれるトップエリートなのである。
武家で信長以前に就任したのは数人しかいない。
また、信長の事を兵部卿殿、純正の事を権中納言殿と呼ぶのが憚られそうな雰囲気である。
「皆さん、官位官職はいろいろありますが、ここでは同列として話したいと思います。もちろんお互いに敬意を払っていただきたいですが、過ぎたる遠慮は不要にござる。兵部卿殿、よろしいか?」
「無論の事。我らは盟をもって不可侵となし、一朝事あるときは、互に助力し敵を討つ。それがこの大同盟の意義にござろう」
信長はニヤリと笑って答えた。純正も安心したかのように笑みを浮かべる。
参列者は次の面々だ。
・小佐々家
小佐々純正、小佐々純久、太田和利三郎
・織田家
織田信長、明智光秀、木下秀吉
・武田家
武田勝頼、武藤喜兵衛、曽根虎盛
・徳川家
徳川家康、青山忠成、石川数正
・浅井家
浅井長政、浅井政元、藤堂高虎
・畠山家
畠山義慶、飯川光誠、大塚連家
・里見家
里見義弘、里見義政、正木頼忠
「里見佐馬頭殿、遠路くれぐれ(はるばる)とようお越し下さった。感謝いたす」
「何を仰せになりますか権中納言様、われら遠方ゆえたびたびは上洛能わねど、此度は盟約の中身をつぶさに決める会合。知らなかったでは済まされませぬ故」
「もっともにございます。大いに議論いたしましょう」
「さて、この大前提となる、軍を起こす儀については合議を要すとありますが、これは勢(軍勢)を率いたる全てにございましょうや? 勢を率いぬ仇なす行い(敵対行為)は如何に?」
明智光秀が発言した。
純正が考えていたのは純粋な軍隊を用いた他国への侵攻、軍事侵攻である。
しかし、敵対行為は軍事行動だけとは限らない。荷留・津留などによる経済制裁にはじまり、外交や調略による併合も広義では侵攻とみなせるからだ。
他国の領海(という概念は当然ないが)における示威行動ともとれる演習や、情報収集や海図(地図)をつくる行為も含めてである。
「その無垢(純粋)なる答えは、勢を率いた時のみにござる。それ以外の事で相手国が窮し和議を申し立てて来たならば、当事国以外で諮り、可決されればその停止を当事国に求めるものといたします」
「それに得心せぬ場合は、いかが相成りましょうや」
「すべからく成敗されん」
全員がざわついた。特に織田陣営のざわつきは誰の目にも明らかであった。
「そ(それ)はすなわちわが織田家が加賀の一向宗と軍に、いや、摂津の本願寺も同じ事にござるが、軍になった場合は浅井や徳川に討ち入らると?」
「然に候」(そうです)
「ではこれよりは権中納言様、いや、この大同盟の合意なくば、つまるところ他国に対しては何もできぬと?」
「明智殿、織田家は他国に対して何かなさりたいのでしょうか?」
「いえ、左様な事は申しておりませぬ」
光秀は口ごもり、黙ってしまった。
「まあまあ、中納言殿、そうわが郎党をいじめんでくだされ」
信長がニヤリと笑いながら間に入る。
「われら織田と本願寺の間柄については、簡単に推し量れるものではない。現に越前と加賀の国境では諍いが止まぬ。何度仲裁の使者を遣わしたか覚えきれぬほどじゃ」
信長は淡々と話し始めた。
「やつらは御仏に仕える者にあるまじき行いをし、色欲におぼれ金銀財宝をため込んでは僧兵を雇って抵抗しておる。今は和睦を結んでおるが、間違いなく破っては攻め込んでこようぞ」
一向宗門徒は全国に散らばっている。この信長の意見には、純正も同意する部分が多くあり、それは他の大名も同じであった。
「それはこの純正、十分承知しております。それゆえ、合議が要るのです。加賀にしろ紀伊にしろ、摂津の本願寺しかり、近江の延暦寺しかりにござる。われら合議にて討ち入ると決めたならば、朝廷も神社仏閣の利得には頭を悩ませております。抗う事はないでしょう」
「……合議にて決まったならば、同盟国全軍にて討ち入ると?」
「左様にございます」
……。
ざわめきの後、静まりかえった中、純正が発言した。
「われらが十万、織田が五万、武田が三万に徳川・浅井・畠山・里見が一万ずつ。二十二万の勢にて討ち入ると号せば、よもや誰も抗いますまい。無論、われらが討ち入る大義名分をしかと確かめてからにござるが」
純正はあえて、自国から織田、そして武田へと国力の順に並べて話した。あくまでも話し合いの上では同列だが、国力の差は歴然としている、と暗に示したのだ。
「徳川殿、武田殿との事は特例といたしたく存ずる。また、北遠江の件、祝着にござった」
「! ……お礼、ありがたく承ります」
すでに北遠江は調略によって徳川陣営になっていた。
武田家の三人は苦笑いを浮かべるほかはない。
本来ではあり得ない話だが、同盟国間での領土の奪い合いを、織田、徳川、武田の三者が協議のもと黙認していたからだ。
その事実を知っていた、純正に対する徳川陣営と武田陣営の畏敬とも畏怖ともわからぬ感情は、どれほどのものだっただろうか。
「いかがでしょうか? 同意いただけるか決をとりたいと存ずるが」
特にやり玉にあがった訳ではないが、織田の加賀・紀伊侵攻に関する事柄でイメージしやすくなったのだろうか、満場一致で可決された。
「同意いたすが、他の題目もあろう。すべての題目の|言問《こととい》(話し合い)が終わり、再び決をとると言うのはいかがじゃ?」
信長である。
それも、可決された。
次回 第587話 その軍事行動はどこからどこまで?
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