第530話 はたして上杉謙信に小佐々純正は勝てるのだろうか?

はたして上杉謙信に小佐々純正は勝てるのだろうか? 対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む
はたして上杉謙信に小佐々純正は勝てるのだろうか?

 天正元年(元亀三年・1572) 三月二十七日 京都 大使館 小佐々純正

 さて、今の状況を整理してみよう。どうだろうか?

 まず、初動が遅れた事は否めない。今まで俺は軍事行動では先手先手を打ってきた。

 しかし今回に限っては、状況判断が甘く遅かったのだろうか? 

 それとも作戦範囲が広大になりすぎて、織田や武田、そして畠山、言ってしまえば本願寺まで巻き込んでしまったからなのか?

 越中本願寺と上杉との間の和議が形だけになるだろう、という可能性があったのに、織田と武田に根回しするのが遅れてしまった。

 結果的に小回りが利かなくなってしまっている。

 龍造寺戦に大友戦、島津に四国に中国に、ほぼ総力戦で戦って来たのではないか? 

 南方に戦力が割かれているとしても、もう少し兵力を、軍事力を高めておいたほうが良かったのではないか?

 海軍は艦艇数に比例するだろうが、陸軍はどうだ? 現状四個師団だが、六、七師団規模に拡大できなかっただろうか?

 陸海軍の統合運用、通信網の整備と旧軍と正規軍の命令系統の統一。

 今後の重要な課題だな。これでもし、織田と武田との連合軍にでもなったら、収拾がつかなくなるぞ。

 それでも現状の戦略である北信濃と飛騨に部隊を配置して、謙信の後背を衝くと言う作戦自体は悪くないはずだ。

 謙信の兵力は、史実でも最大で28,000人だったんじゃないだろうか。

 今回、謙信も一気に越中の平定を狙うだろうから、そのくらいの兵力が妥当だろう。防衛に回せるのは10,000人、いや、5,000人でもギリギリだろう。

 俺たちや信長のように傭兵を雇っているのなら話は別だが、そうするだろうか?

「直茂よ、今分かっている事はなんだ?」

「は、まずは謙信は十一日に陣触れを出し、領内の兵を春日山に集めているようにございます」

「ふむ」

「おそらく今ごろは春日山より討っ立ちうったちて(出発して)、越中へ向け軍を進めているものと思われます」 

「なるほど、数はわかるか?」

「いえ、そこまでは」

 うーん、そうなんだよなあ。あくまで予測しかできないのと、間者の報告の数字が、どこまで正確なのかわからない。伝聞? そのまた伝聞?

 いい加減な報告はしないだろうが、もしくはざっくりとした見た目による算出だろう。

「うむ。謙信の所領は越中半国と越後、そして東上野に北信濃の一部であるな。それで、いかほどの兵を出せるであろうか」

「は、出せるか、という問いに答えるならば、二万八千から三万五千は出せるかと存じます」

「うーむ。つまりは、無理をすれば三万五千ほどは、出せるという事だな?」

「はい、れど蘆名や伊達とは弓引いて(敵対して)おりませぬ。北条に臨む上野の備えは別にして、信濃飛騨の備えにはいくぶんか要すと存じます」

「左様か、では出して三万程であろうか」

「委細は報せを待たねばなりませぬが、おそらくは」

 敵兵力の予測と算出は重要な課題だ。

 それによってこっちの兵力の振り分けが変わってくる。謙信が越中の完全平定を狙うなら、間違いなくそこに兵力を割くだろう。

 他は、2~3ヶ月持ちこたえられる程度でいい。

 越中の平定という目的が達せられれば、あとは統治の兵だけおいて撤退して、他の部隊の救援に向かえばいいからだ。

「他の情報はどうか?」

「は、それについては」

 官兵衛が報告してくる。

「すでに海軍第四艦隊は能登より出羽へ向かい、越後沖を進みながら上杉の荷船の拿捕だほ曳航えいこうに取りかかっております。また大名衆のうち、九州勢はすでに能登所口湊に着到の由にございます」

「そうか、ではあとは四国勢だな。第二師団と第三師団はどうだ?」

「は、その儀は……」

 官兵衛が陸軍の状況報告をしようとした時、近習から連絡が入った。

「申し上げます! 能登より通信が入りましてございます!」

 

 発 三好安房守 宛 権中納言

 秘メ 我 所口湊 着到セリ 九州ノ 軍兵 スデニ 着到シケレバ 此方このかた(以後)ノ 命ヲ 求ム 秘メ

 

 発 権中納言 宛 三好安房守

 秘メ 委細 承知 一条ノ 着到ヲ 待テ 総大将 戸次道雪 副将ニ 高橋紹運 ト スル 全軍ノ 軍議ノ 後 三好 一条 

 島津 立花 龍造寺ト 五隊ニ 分カレ 動ケ ナヲ 此度ノ いくさ 殲滅せんめつノ 要無シ 秘メ

 秘メ 殲滅せんめつ 能ウナラバ いさムルニ非ズ 然レド イタズラニ 深追イヲ いさム 秘メ

 

 これでも長いが、限界か。

「よいか、これより筆をとって送るわざとの(正式の)書状を文、とするが、このように短く省いて送る物を通信と呼ぶぞ。信を通わすである。また、このかた、を以後もしくは今後とする」

 熟語っていくつかの方式があるんだよね。類似語や反対語を並べたり、主語と述語だったり、修飾したり。

「御屋形様、陸軍の動きにございますが……」

「お、そうであったな。いかがじゃ?」

「は、第三師団につきましては、二十四日に駿河、吉原湊に着到し、翌日打っ立って(出発して)おります。また、第二師団につきましては、おなじく二十五日に飛騨の牛臥山ぎゅうがざん城下に着到しております」

「あいわかった。ではこれより先の道は任すので、謙信の動きに注意し、如何様いかようにも応え能うよう送れ」

「はは」

「さて、他になにか、気になることはあるか?」

「然れば、それがしから……」

 直家が発言する。

「いまだ確かなる証がありませぬゆえ、言い閉ぢむいいとじむ(断言する)事能わぬのでございますが、北条にございます」

「なに?」

 全員が直家の顔を見る。

「いかなる事か?」

「は、されば申し上げまする。このところ、北条と上杉の間に、千重頻く頻くちえしくしくに(頻繁に)人の動きがございます。越相の盟約が解かれてしばらくは途絶えていたのですが、そこは商いにござる。すぐに事直ことなおりけり(復活した)との事。それがここ一月二月、さらに千重頻く頻くちえしくしくに(頻繁に)往来があるとの事にございます」

「……」

 俺は考え込んでしまった。

 まさか? いやいや、北条と組む? 関東管領でイケイケで北条と戦ってたのに? 組む?

 いや、アリエンダロウ。

「みな、どう思う?」

「は、それがしは……」

「いや、そのような事は……」

 全員が考えられる事を、意見として出し合う。情報が足りない中で、想定を言い合ったのだ。

 

「御屋形様、六角承禎様がお見えにございます」

「なに? 承禎殿が?」

「今は重し(重要な)評定を重ねておるのだ。いかに御屋形様のご一族とは言え、待っていただく、いや、日を改めていただこう。御屋形様……」

 直茂が断ろうとする。

「……待て、会おう」

 俺はなんだか、ピンときたのだ。

 

「御屋形様、このようなお忙しい中、よろしいのですかな? それがしは暇を持て余しておりますので、いつでも良いのですが」

「いえ、承禎殿、そうかしこまらずに。同じ佐々木の同族ではございませぬか。それがしなどは傍流ゆえ、どうかとうとに(気楽に)なさって下され」

「は、有り難き幸せ」

「それで承禎殿、忌憚きたんのない(遠慮のない・率直な)思わく(考え)をお聞かせ願いたいのですが……」

 俺は北条の事や越相同盟の事を詳しく伝え、意見を求めた。

「そうですな。それがしのような老骨がお役にたつかわかりませぬが、まずいくさとは人を見ていたす事かと存じます」

「ふむ」

「御屋形様をはじめこちらの方々は、孫子をはじめ武経七書もそらんじるかもしれませぬ。然りながら、いくさとは机上のことわりのみで勝敗が決する訳ではございませぬ」

「と、いうと?」

いくさとはことわりのみにあらず、人をみて為すものにございます。いかに兵法に通じていたとて、敵の人となりを考え、常に最も悪しき果て(最悪の結果)を案じ、それにこたう(対処する)事こそが勝ちに通ずると案じまする」

「なるほど、では承禎殿は謙信をどう見まするか?」

「左様にございますな、いわば天骨(天才)にして、天賦の才の持ち主にござろうか」

「ではその天骨に、どうこたうれば良いのでしょうか?」

「天骨とは……そはすなわち常人に非ず、行いも意趣(行動も考え)も、違いまする。ゆえに天骨の者に臨む(対処する)には、常人が能わぬ事、やらぬ事、案じぬ事を為すと思えばよいかと存じます」

 

「……あいわかった! いや、承禎殿、まさにもうひらかるる思い(目から鱗)にござる。かたじけない」

「なに、自らの身に起きたこと。それがし、わが殿、兵部卿様を見誤り申した。希代の天骨の方にて、凡人たるそれがしは常道に囚われて敗れたゆえ、そのままをお話ししたまでにござる」

「いや、いずれにしても、感謝したす!」

 

 六角承禎はその後、しばらく軍議を聞いた後、何事もなかったかのように帰っていった。

 神の思し召しなのだろうか? 無神論者なのにな。

 いずれにしても、越相同盟、なったのか? ……なったと考えて戦略を組み直さなくてはならないかもしれない。

 ■第三師団、甲府から陸路にて北信濃の平倉城へ 4/5着予定。
 ■第二師団、飛騨北端塩屋城着にて状況をみる。
 ■土佐軍、敦賀着。明日出港予定。
 ■加賀一揆軍、三月二十九日金沢御坊発予定

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