嘉永二年十一月二十五日(1850/1/8) <次郎左衛門>
さて、確かこの頃の勝海舟は、どこだっけ?
本所から赤坂田町に移ってる頃だったかな。
「御免候!」
「はいよ。どなたかな?」
「勝麟太郎殿にござろうか。それがし、肥前大村家中、家老の太田和次郎左衛門と申す者にござる」
といって俺は名刺を渡す。意外と名刺の歴史は古くって、中国の皇帝が結婚する時に、相手の親に木や竹の『刺』と呼ばれるものに名前を書いたのが始まりとか。
日本でも19世紀には使われていて、不在時に置いて帰ったり、取り次ぎを頼む時に渡していた。幕末、そうこの時期は、例えば外国人との名刺交換も記録に残っている!
脱線した。
「はあ……これは、どうも。おいら……ごほん。それがし、旗本小普請組、勝麟太郎にござる。して、その御家老どのが、いったいそれがしに何用にござろうか」
明らかに怪しんでいる。
旗本小普請組といえば、無役の、ようするに窓際族である。そうは言っても取り潰す訳にもいかず、わずかではあっても俸禄が幕府より支給されていた。
仕事と言えば城の修理やその他の雑用になるのだが、この時にはその賦役も金納に変わっていた。困窮する旗本も続出するなか、内職をする者も後をたたなかったのである。
「実は勝殿、貴殿の才器を見込んで、我が家中にお招きしたいのです」
「はあ?」
だろうね。そうだろうさ。勝海舟でなくったって、そうなるさ。俺だってそう思う。新手のオレオレ(いや、古手?)かと思うよね。
「ごもっとも。つまる話もなんですから、上がらせて貰ってもよろしいか?」
「いや、あ、ちょっと!」
ちょっとだけ強硬手段にでた。やっぱり中には入れてくれない。当たり前か。
「勝殿、それがし、すでに来訪の目的は告げ申した。嘘偽りのない当て所(目的)にござる。勝殿の才器を見込んでのお願いにござる」
真剣な眼差しで勝さんを見る。
「さ、されど、いきなり来て大村、肥前でござろう? 来いとは。いくらなんでも意味がわからぬ。今少し説明をしていただかねば」
よし、では説明しよう。あー隼人、おれ小久保さんの時も思ったけど、お前毎回こんな事してんのな。うん、ご苦労さん。ありがとう。
「では、ご説明いたしましょう。ん? その手に持っているのはDoeff-Halma Dictionaryではありませんか?」
「今何と?」
「ですから、ドゥーフ・ハルマの辞書にござろう?」
「なんと! ドゥーフ・ハルマをご存じなのですか?」
「そりゃあ知ってますよ。英語でさえTOEIC……いやいや、苦手でオランダ語勉強する時に使いましたからね。この時代で有名な蘭和辞典でしょ」
「この時代? 英語? といっく?」
「ごほん。お忘れくだされ。我が大村家中では先頃印刷機が完成して、辞書やらなにやら印刷しているんですよ。この辞書はオランダ語を学ぶ学生用に百冊以上は配布され、領内の図書館にも二~三部ほどございますから」
活版印刷。グーテンベルクの発明から、天正遣欧使節によって日本にもたらされたが、再版の際の費用が高くつくなどの理由で普及せず、木版が主流となったのだ。
幕府は海外情報の流入を恐れて、ドゥーフ・ハルマの一般への刊行を許可しなかったので、ものすごく数が少なく、高価だった。
ただし大村藩では、領立の図書館内での閲覧と、学生と官職についている者への貸し出しに限定している。この辺は幕府の目を盗んでといったところだろうか。
あくまで民間へ、ではなく官での利用なのだ。
要するに藩が厳重に管理をするので、情報流出はない、と。
まったくこの期に及んで流入もくそもないだろうが。ため息だ。
「なんと、百冊以上……」
「はい。象山殿などは、今はましになりましたが、図書館に入り浸りでございましたからな。わはははは」
「今、象山殿と仰せになりましたか?」
「はい」
あれ? どした?
「蘭学を志し、学んだ者で先生の名をしらぬ者はおりません。それがしも教えを請おうと思っておりましたが、いつのまにか江戸から去ってしまい……信州の松代に帰ったとも聞いておりました。その先生が、大村にいらっしゃるのですか?」
うーん、入門は確か再来年だと記憶していたけど、こんなに早くから知っていたのか。まあ木挽町で象山さんが開塾してからの入門だもんね。本来は今、松代藩で研究しつつ活躍しているところ。
「ええ、象山殿だけではなく、高島秋帆殿や高野長英殿、みなわが大村にて学んでおります」
「なんと……そのお二人までも。それは、誠にございますか」
「誠も誠。嘘偽りなど申して、それがしになんの得がありましょうか」
「……」
考え込んでいる。悩んでいる。勝海舟の私塾の開塾が来年だから、開塾してさらに翌年に、それと並行して入門したのかもしれない。いずれにしても、海舟が欲してやまないものが、大村にはある。
「御家老様」
「なんじゃ?」
「藩邸に小久保健二郎と名乗る者が来ておりますが」
「おお! そうか。丁重におもてなしして、待っていただけ」
「ははあ」
「では、勝殿。じっくり考えて頂いても構いませんが、それがしあと一月も江戸の藩邸にはおりませぬゆえ、それまでにお決め下され」
それから何度か俺は勝邸と藩邸を行き来して、勝海舟は大村に行くことに決まった。幕臣である小普請組であったが、具体的に仕事があるわけでもない。
それにその賦役は金納であったために家計を圧迫していた。俺はその負担を肩代わりし、いや、正確には給料の一部として勝海舟を迎えたのであった。
■大村政庁
「石だ」
というのは石工の橋本勘九郎。
「いや、素焼きの土管では?」
ある技術者が発言する。
「いやいやレンガであろう」
高炉や反射炉、コークス炉を設計して運用し、レンガを生産している技術者は言う。大村城下で下水道整備をするにあたって、何を素材にして配管工事をするのかを論議していたのだ。
経済的な面、技術的な面、耐久性の面、衛生的な面。様々な要素を考慮しなければならない。
「ここは、ポルトランドセメントでしょう?」
「ポルトランドセメント?」
一同がオランダ人技術者を見た。
ポルトランドセメントとは1824年にイギリスで開発されたもので、石灰と粘土を混合し、それを焼成して出来上がるセメントである。材料である石灰石と粘土があり、焼成が可能な高炉がある。そして技術的な事を考えての事であった。
「高炉セメント」
「「「「ん?」」」」
通りかかった信之介の言葉に全員が固まった。
次回 第121話 (仮)『セメントの続きと臭水樽揮発問題』
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