第238話 『遣米使節と海外領事館ならびに渡航許可』

 安政六年九月一日(1859/9/26) 

 新見正興や村垣範正、小栗上野介をはじめとする使節団の派遣にともない、法整備も行われた。渡航先のサンフランシスコでは日本初の外国における領事館の設置が行われるのだ。

 海外渡航における諸法規を整備する必要があった。

 官位叙任問題や大村藩からの技術供与の取引材料として、次郎は井伊直弼にもう1つの条件をつけていた。幕政に直接参加する老中並という訳ではないが、参与という形で参画させる事である。

 国内外問わず交易をするためには渡航はまず必要であるし、様々な障害となり得る案件は取り除いておきたかったのだ。使節団の派遣は11月を予定している。

 次郎は純顕すみあきに申し出て、許可を得た後に上書し、また定期的に幕政の進捗の報告を受け、それを純正に報告した上で改善点があれば上書する形をとったのである。

 水戸藩の徳川斉昭が一時期就任していた海防参与と同じような待遇であるが、もちろん、純顕が参与であって次郎はその名代という訳である。

 非常勤の顧問のような形であろうか。




 ■大村藩庁

「次郎、お主は如何いかが思う? 長崎の警備のために参勤を免じていたが、この際江戸に詰め、他の老中と同じように登城しては如何かと言ってきたが」

 幕府からの書状を見て、純顕は次郎に質問した。

「は、然れば中央にあまり関わらず、という家中の考えを旨とするならば、お断りすべきかと存じます」

 次郎のその答えに純顕はうなずきつつ、目をつむって考えている。傍らの利純が次郎に聞いた。

「然れどこれまでのお主の行いや、家中の行く末を考えれば、兄上が公儀の中にあればこそ、守れるものもあるのではないか?」

 次郎は利純の問いに対して、慎重に言葉を選んだ。

「修理様の仰せの儀、真にごもっともにございます。然れど中央に深く関わることで得られるものがある一方で、失うものもございます。先の襲撃の件もございますれば、あまりに関わると再び狙われる恐れもございます」

 利純は次郎の慎重な答えに一瞬考え込んだ。そして、落ち着いた口調で続けた。

「確かに襲撃の事は忘れられぬゆえ、この先の事様(状況)を考えるに、公儀との間を詰めすぎぬというお主の判も得心いたす。然れど公儀の中で善く発言能うようにならねば、我が家中が栄えるにも、障りあるのではないか?」

 次郎は静かにうなずき、目線を純顕に移した。

「利純様のご懸念、もっともにございます。然りながら公儀内での争いに巻き込まれる恐れもあると考えまする。加えて、さきほどの襲撃の儀ではございませぬが、公儀の行いに異を唱える者あらば、またそれに親しい者も襲われる恐れ、つまりは再び襲われる恐れも有り、と考えております」

 次郎は続けた。

「ゆえに今はあくまで、参与として幕府の方針や動きを把握しつつ、折を見て適切に処するのが賢明かと存じます」

 純顕はその言葉に聞き入り、しばらく目を閉じて考え込んだ。数秒の沈黙の後、目を開き、落ち着いた声で口を開く。

「うべな(なるほど)、次郎よ、お主の考えよう分かった」

 史実では純顕の跡を継いだ純熈すみひろ(利純)が長崎奉行に任じられる。

 外国通である純熈を奉行に据えることで対外関係に対処させ、また倒幕・反幕の気運が高まる西国諸藩を牽制としようとしたのだ。純熈は本意ではなかったが、勤王派とみなされないために渋々就任する。

 しかし任期半ばの1年後には辞任するのだ。

 時勢をみた見事な状況判断と言えるだろう。




 ■精れん

「御家老様! これをご覧ください」

 次郎の前に持ってきたのは最新の試作品であった。研究を続けていたガス灯用の酸化トリウムを用いたマントルである。この試作品は従来のものとは異なり、より白く、強い光を放つことができるように設計されていた。

「これは……何か特別な改良を加えたのか?」

 次郎は試作品を手に取りながら問いかけた。

「はい、御家老様。従来の酸化マグネシウムに代わり、酸化トリウムを99%、そして酸化セリウムを1%の割合で加えた組み合わせです。この改良によって、光の質が劇的に向上し、マントル自体も強度を保つことができるようになりました」

「うむ」

 次郎は試作品をじっと見つめ、光が放たれる様子を確認した。試験的に火を入れたマントルは、白く明るい光を放ち始めた。これまでの緑がかった光とは比べ物にならない、純白の光だった。

「これが、その新しい組み合わせによるものか。確かにこれまでのものとは一線を画しているな。よし、さらに改良を加えて今のガス灯に置き換えよ。さすればさらに広く、少ないガス灯で街道を照らせようぞ」

「はは」

 ・万博出展品候補(新型ガス灯)




 ■江戸城 御用部屋

「大村家中からは、これよりほぼ全ての技と知を得ねばならぬのです。これしきはよいかと」

「なに? これしきと? 豊後守といいお主といい、切れ者と言われる男はなぜにこうも我が強いのか」

 あなたがそれを言うか? という顔を露骨にされながらも、井伊直弼は納得した。

 岩瀬伊賀守忠震の言う事はいちいちもっともであり、直弼自身も将軍継嗣問題が解決し、一橋派といえども有能な者は登用し、幕政に参加させて富国強兵を実現させなければならないのだ。

 背に腹は代えられぬ、とはよく言ったものである。しかし肝心の諸侯会議までにはいたっていない。老中は相変わらず譜代より選出し、上野介や忠震などは奉行止まりであった。

「……して、その電信とやらを敷くには如何いかほどの年月と金がかかるのだ?」

「は、西国九州においてはほぼ終わっており、宇和島と土佐においても年内もしくは来年には完成の見通しとなります。畿内より東海道、江戸においては約百三十三里(約521km)。一年もあれば敷設能うとの事。費用は三万両ほどになろうかと」

「三万両! ……もうよい。西国から京大坂を経て、江戸まで文をすぐさま通わす事能うとなれば、安いのであろうか……。軍艦が何隻、大砲が何門造れるかわからぬ」

 何をするにも金がかかるのは世の常である。頭を抱える直弼に対して、忠震は答えた。

「まずは、大村家中が何をもってあのような潤沢なる金を用意できているのか? それがしが調べましたるところ、茶、石炭、石けん、塩、干鰯ほしか、臭水など、なかでも茶はかなりの額を賄っており、外国においては飛ぶように売れている模様」

「つまり?」

「は、然らば茶に関しましては駿河の地、天領を開墾し、大村家中と共に営むのです。土地の開墾から茶畑の開発、茶の製造から販売まで、すべてを共同で行う商社をつくるのです。これは……豊後守殿の受け売りにございますが、その資金についても公儀が出し、商人や町人にまで出資をつのるのでございます」

「町人にまでか?」

「はい。無論公儀の金で全てまかなえればなにも子細なしにございますが、そうもいかぬでしょう」

「……」

「何事も、真似から入るのでございます。軍備も技もすべて、金を成らせる技もすべて、真似るのです」

「……あいわかった。豊後守と相談してよきにはからえ、亜墨利加に渡ってしまえばお主の負担も増えようが、しかと頼むぞ。亜墨利加の次には欧州にも批准使節を送らねばならぬゆえな」

「はは」

 これから先、なにもなければ幕府の近代化は進んで行くであろう。




 次回 第239話 (仮)『兵備輸入取締令(へいびゆにゅうとりしまりれい)と大浦・小曽根商会の横浜・箱館支所』

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