万延元年十月二十五日(1860/12/7)
「馬鹿馬鹿しい。然様な些末な事に頭を使うなら、もっと他に為すべき事も考えるべき事もあるでしょう」
小栗上野介は御大老安藤信正の問いに事もなげに答えた。
「ふっ……。些末な事か。相変わらず豊後守(当時の上野介)はズケズケと物を申すの」
発 駿府代官 宛 御大老
斯様ニ重シ儀ヲ 女ニ任セルトハ由々シキコトナリ 変更ヲ求ム
「某の口が悪いことは、ご容赦いただきたく存じます。どうにもつい口に出てしまうのです。第一、あの大村家中の事にございます。それがし彼の地を見、そしてアメリカにも行き申した。アメリカでも女子が商いの長となり、徒党を組んで政治を動かしております。日ノ本の習わしに囚われていては、とてもとても、追いつき追い越す事などできませぬ。常軌を逸にせねば彼の家中に勝てぬのです」
「うべな(なるほど)。では然るべき沙汰を出すといたそう。我慢せい、と。それで無理ならお役御免とするほかあるまい。して、金をつくる仕組みと算段は如何じゃ? 戻ってきて八面六臂の活躍であろう」
ふふふふふ……ふう。
信正はため息だか何だがわからない素振りを見せながら、上野介に聞いた。
「御大老様、八面六臂と言われるほどの務めは果たしておりませぬ。然れど、様々な施策を進めております。まず、生糸・雑穀・水油・蝋・呉服を扱う五品江戸廻し令の件ですが、これは一時的な措置に過ぎません」
上野介は一呼吸を置き、さらに詳しく説明を続ける。
「現在、国益主法掛を中心に、より永く続く統制の仕組みを考えております。特に生糸に関しては、天野三左衛門殿の提案が注目に値します」
「天野の提案とは?」
眉をひそめて信正は問うた。
「天野殿は、中央の国益所から地方の蚕糸業地に出張所を設け、生産者に資金を与えて生産を助け、それを買い上げる考えを持っています。国内で要る分を残し、余った分を開港場に送るという案です」
「ほう、それは興味深い案だな」
信正は関心を示し、上野介は熱心に語り始める。
「はい。これが成せば、公儀主導の強き経済統制が能います。然れど、成すためには多くの子細があり申す。とりわけ地方の反発や、外国商人との軋轢が予想されます……」
「ふむ。金は欲しいが、国内を窮してまで外国におもねる要はなし。それよりも……」
「大村にございますな」
「うむ」
2人の間に沈黙が訪れるが、それを破ったのは上野介であった。
「彼の家中は、今はまだ、敵に回してはなりませぬ。幸いにして関東の地は天領多く、彼の家中の手はあまり伸びておりませぬ。彼の家中の手が届いておらぬところから始め、はあ……。触らぬ神に祟りなし、とは言いたくはありませぬが、致し方ございませぬ。大村家中と同じ値で買い取り、同じようにして売ればよろしかろうかと」
「うむ。その件は、お主に任せる。恐らくは次郎左衛門と、その妻の某かが仕切っておるであろうからな」
「ははっ」
■京都
「もーほんと! マジであり得ないって! あの馬鹿なに考えているんだか!」
「う、うん……」
「こっちが何をいっても、そうであるかそうであるかばっかりで、話なんて聞いちゃいない」
「まあ、そういう時はきちんと証文をとってさ、言質だけじゃ心許ないから……」
「男が上で女はそれに従えっていったい何時代の話だよ! って、ああ、江戸時代か……」
「……」
京都の大村藩邸で、お里はコーヒーを飲みながら羊羹や最中などの和菓子に、大村の工場から取り寄せて冷蔵庫で保管していたチョコレート(+ミルク)をほおばっている。
「おい、あんまり食べると太……あいた! 痛いよ!」
お里の蹴りがすねに当たって泣き崩れる次郎であったが、こんな姿は誰にも見せられない。
「御家老様、長州毛利家中の直目付、長井雅楽と仰せの方が、面会を願っております」
「なに? 長井雅楽? うん、会おう。案内して」
次郎はすねをこすりながらそう言って、雅楽を応接間に通した。お里も落ち着きを取り戻し、同席している。
雅楽は丁重に挨拶をした後、すぐに本題に入った。
「太田和様、某は長州毛利家中直目付、長井雅楽と申します。この度は突然の訪問、申し訳ございません。大村家中の先をゆく新たな取り組みについては、つとに承知しております。その上で、さらなる提案がございまして罷り越しました」
「長井殿、顔を上げてください。どうぞ楽に。……して、我が家中の取り組みを踏まえた上での提案とは、如何なるものでしょうか」
次郎は興味深そうに顔を上げた。
「はい、御家中の『技を新たに考え改める試みや貿易への取り組み』は、注目に値するものだと考えております。然れども、その影響はまだ限られています。某はその新しき取り組み方を基に、さらに大胆な提案をしたいのです」
「ほう、我が家中の取り組みを踏まえた上での提案とは、如何なるものでしょうか」
次郎は興味深そうに雅楽の顔を見た。
「つぶさ(具体的)には、御家中の験を活かした日本商人による直接貿易の拡大、海外での日本人居留地設置、そして日本の商船による定期的な海外航路の草分け(開拓)にございます。御家中が成したる例は、これらの提案をなし得るか否かを示す、重き証左となり申す」
お里が食い入るように聞いているが、次郎は少し渋い顔をしている。
「うべなるかな(なるほど)。我らの取り組みをさらに大きく、広き地域に広めるということですね。然れどそれは、只今の公儀の政とは大きく異なるかと存ずるが」
「然に候。然れど大村家中のお考えは、公儀をも動かすと聞き及んでおります。御家中のような先を行く家中こそ、この改革の先頭に立つべきだと考えています。御家中の功があれば、他の家中や公儀を説く際の強き拠り所となるでしょう」
雅楽は次郎の目を見て真剣に語っている。
これは、オレ達を使って長州が中央へでる足がかりとするつもりなのだろうか? それとも純粋に国のためを考えている?
次郎はそう考えずにはいられない。しかし小栗上野介が、どう出るか?
それに長州が進出すれば他の藩、とくに薩摩や土佐、宇和島や福井はどう動くだろうか? 水戸徳川にしても、ほとぼりが冷めれば幕政に口を出すかもしれない。
次郎は、極力大村藩は中央から離れて動くべきだ、というのが信条である。余計な権力闘争など、まったく興味がない。
「長井殿、これは長州の、毛利左近衛権中将様も同じて(同意して)おられるのでしょうか?」
「然に候、毛利家中は某のこの策にてまとまっておりますれば、なんら問題はございませぬ」
問題は……おおありなんだよな、と次郎は思うが、確かに純顕は参与としてご意見番のような形になっている。桜田門外の変以降は少なくなったが、意見を請われることも多かった。
「分かり申した。然れど某の一存にては決めかねるので、国許にて諮りたいと存じます」
「それは無論の事、何卒よしなに……」
その旨、電信にて純顕の元へ届けられた。
■遡る事4か月半前、六月十日(1860/7/27) 鹿児島城
史実の斉彬が存命であるとともに、父である斉興も、生きていた。
「大殿、エゲレス領事のジョージ・モリソンと申す者が、面会を申し出ております」
「なに? 面会じゃと? しかも異人とは……斉彬ではなく、わしに用事だというのか……?」
「は」
斉興は考えた。すでに隠居しており(史実より2年ほど長生きしてはいるが)、まったく藩政には携わってはいない。
「ふ、まあよい……。この事、斉彬は知っておるのか?」
「は、それはなんとも……然れどこちらからは知らせてはおりませぬ」
「ふむ、まあよいわ。この老骨の暇つぶしにはなろうよ。呼ぶが良い」
「ははっ」
「殿、先日面会したイギリス領事が、大殿様に面会したそうにございます」
「なに?」
斉彬は考えこんだ。モリソンのやつ、わしが断ったゆえ、父上に接触するとは……。
「いかがなさいますか?」
「……放っておけ。如何に父上とは言え、隠居した上にわしの後見でもない。何もできぬであろう」
次回 第253話(仮)『清河八郎』
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