元亀元年 十一月二十五日
「本当にこれで良かったのだろうか」
純正が直茂に確認する。すでに3日間に及んだ会談は終わり、諸大名は純正への挨拶を終えて、それぞれの領国へ帰った後であった。
「ようございました。あれで大国毛利も小佐々には敵わぬ、と諸大名に知らしめる事ができました。ゆえに、よほどの大きな波が来ぬ限り、戦は起きぬでしょう」
直茂は純正の問いに答え、その行動の正当性を説く。
「しかし、元春だけに負担を強いることになってしまった。事前に話を通しておったほうが良かったのではないか?」
「殿はお優しい。先だっての小早川隆景との会合でも、毛利を大きく残されました。天下の趨勢いまだ定まらず、この状態で大国毛利を残せば後々禍根となりましょう」
戦略会議室、室長の鍋島直茂は、毛利を防長二カ国まで減封せよと主張していたのだ。
「しかし……」
純正にしては、妙に歯切れが悪い。
「仮に事前に元春と協議していたとして、尼子の領地となることを知って、元春が納得するとお思いですか? こちらはさらに譲歩して、銭まで渡すというのです。なんの文句がありましょう」。
「……」
目的が小佐々の服属国を増やし、それをもって秩序とし、西国の平和を構築するというのが今回の会議の目的だったのだが、結果的に力で抑え込んだ感が否めない。
しかし、やらなければやられる戦国時代に、現在の感覚を持ち込んでもどうにもならない事もある。かえって命の危険にさらされる事もあるのだ。
純正はときどき自分がわからなくなる時がある。蛎浦の海戦では我を忘れて突撃したり、島津との戦いでは種子島で傷ついた兵を見て、実力行使を決めた。
伊予戦役から対毛利では、弱者から強者の戦略へ変更していく時期に来ている事を示唆された。
もちろん、それは戦略会議室室長である直茂の進言によるところが大きいが、力でねじ伏せる事も、あるいは必要なのかもしれない。
中途半端が一番いけないのだ。
「殿、宇喜多三郎右衛門尉様、黒田官兵衛様、お見えになりました」
「うむ、入れてくれ」
2人は新しく戦略会議室に配属される、宇喜多直家と黒田官兵衛である。
荷物や近習等の準備があるので、正式に諫早に居住するのは後からになるが、今回は挨拶もかねて残っていたのである。
「宇喜多右衛門尉直家にござる」
「黒田官兵衛孝高にござる」
純正は感無量である。大河ドラマにも出演する大物大名と武将だ。この調子で真田信繁(幸村)も入れば鬼に金棒となる。
「かしこまった挨拶はいい、紹介しよう」
純正はそう言って室長の鍋島直茂、尾和谷弥三郎、佐志方庄兵衛、土居三郎清良を順番に紹介した。戦略会議室のメンバーはこれで6名になる。
「ではお二方、こちらへ」
直茂が2人を席に座らせ飲み物を用意する。
「宇喜多殿、それがしより年長ゆえ敬意は払いまするが、小佐々家中はあまり上下の隔たりがございませぬ。それゆえこの面々で話すときは、遠慮のない話し方をしますゆえ、ご理解いただきたい」
親しき仲にも礼儀あり、とはよく言ったが、その逆もある。礼儀を重んじるばかりで自由な議論が出来なくては、最上の策は生まれない。
「時に宇喜多殿、それから官兵衛……それがしよし年下ゆえ官兵衛でよろしいか? 2人にうかがいたい。先の会談における御屋形様の毛利と尼子への仕置き、どう思われた?」
「直茂、何を……」
純正は直茂の突然の質問に驚き、真意を探ろうとする。
「殿、お二方は今、わが小佐々家中に入ったばかりにて、一番外からの考えに近うございます。それゆえ、殿のお悩みも晴れるかと存じます」
純正は恥ずかしいと思いつつ、客観的な意見が聞ける貴重な機会だと思い、聞くことにした。
「ではまず、宇喜多殿から伺いたい」
直家は純正に正対し、居住まいを正して咳払いをした。
「では、はばかりながら申し上げまする。御屋形様がなさった事の良し悪しは、何を求めてかによりて、変わってまいります」
「というと?」
純正が聞き直す。
「まず、静謐。西国の平和を求めての事ならば、いささか性急かと存じまする。おそらくは、駿河守殿は納得されておらぬでしょう。されている様に見えても、おそらくは」
「おそらくは?」
「一朝事あるときは、なにか起こすやもしれませぬ」
「……謀反、造反すると申すのか、駿河守殿が?」
純正の表情が、わずかにゆがむ。
「はい、人の心は読めませぬ。いかに表でにこやかに笑うていても、その実、考えを推し量る事などできませぬ。こたびは吉川にとって実利はあれど、名を汚された思いは残るでしょう」
では、どうすれば良かったのだ?
純正は考えた。面倒なのでいっぺんに済まそうと、楽に逃げた結果なのだろうか。しかし、直茂いわく、根回ししたところで元春は納得しないだろう、と。
結局、そういう人は戦をするしかないのだろうか。
「官兵衛はどうだ? 右衛門尉と同じか?」
純正は官兵衛にも聞いてみる。
「では、はばかりながら申し上げまする。それがしは、全て織り込み済みにてなさった事だと、考えておりました」
「どういう事だ?」
純正は聞き返す。
「はは、毛利は大きすぎまする。ゆえに名目をつけて高を減らし、脅威とならぬようせねばなりませぬ。しかるに名目がない。ないならつくれ、という事でございます」
直家は横でニヤニヤ笑っている。
「この会談に先立ち、毛利と単独で会談なされたと聞き及んでおりまする。その際、吉川領のみ割譲を言い渡したとか。右衛門督殿(毛利輝元)も左衛門佐殿(小早川隆景)も、口ではああ言いながら、内心ほっとしているでしょう」
「つまり?」
「兄弟の仲を裂いたのではないか、という事です。強固な岩も、蟻の一穴から崩れると申しまする。兄弟の仲に亀裂を作っておけば、いざというとき完全に割れまする」
全員が官兵衛を見ている。
「そうしてこたびの、半ば尼子への割譲。怒り狂うのを読まれていたのでは? あとは右衛門尉様がおっしゃったように、きっかけがあれば、堰を切ったように不満があふれ、駿河守殿は離反するでしょう。そして成敗、これが名目でござる」
さすがは官兵衛である。
実際純正はそんなことは考えていなかったが、直茂は考えていた。しかし島津での一件があり、自粛していたのだ。
「では、いつ兵を起こすだろうか」
直茂が試すように官兵衛に聞く。すると、直家が割って入った。
「この件は、真に申し訳ござらぬ、としか言いようがないのですが、それがしが巡らした謀にて、公方様が動かれた時。さらに織田に大乱が起きた時にございましょう」
「御教書か」
純正はつぶやいた。
室町御所で謁見した際に義昭は言ったのだ。純正には関係ない、と。しかし、今のこの状況で毛利、そして諸大名や国人に知れ渡ったらどうなる?
御教書の効果がどの程度かはわからないが、動揺する事は間違いないだろう。そして受け取った毛利は?
おそらくは丁重に断って無視するだろうが、元春はどうする?
「あわせて、織田をとりまく状況も楽観できませぬ」
官兵衛は加えた。どういう事だ? と純正は聞く。
「は、今弾正忠様は長島を攻めておりますが、おそらくは殲滅するでしょう。三好を降したとは言え、弾正忠様をよく思わない者は多い。特に武田が動けばやっかいにございます」。
武田! もしここで西上作戦となったら、さすがに厳しいか。
「さらに、本願寺、延暦寺、根来、雑賀、朝倉が武田とならんで弾正忠様を包囲し、御教書にて動揺した山陰山陽の諸大名が、一斉に駿河守殿を旗頭に兵を上げれば……ちと、面倒な事となりまする」
全員が無言となった。しばらく、無言が続いたあと、純正が聞いた。
「では、いかがする?」
「は、予測できないものは難しゅうござるが、わかっていれば対処あたいまする。まずは情報を集め整理して……」
恐るべし2人である。
簡単な挨拶だけで終わるつもりが、夕食をはさんで夜遅くまで、今後の小佐々の進むべき道、策について話し込んだのであった。
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