天正十年十二月十二日(1582/1/6)
織田信忠はスペインとの海戦以降、信長の命により美濃に戻り、家督を継いでいた。織田家の当主としてはまだ3年目ではあったが、信長は徐々に権限を委譲していったのだ。
これは何も信忠に限った事ではない。
小佐々陸海軍の軍属となっていない者は、信忠と一緒に帰郷していたのだ。信長は議決権のある議員として中央政府の一翼を担い、信忠は織田領内の内政に力を注いでいた。
■京都 大使館
父である太田和政種による大阪城下の都市計画が進む中、純正は対外政策について閣僚と論議していた。その席上で純正が議題としてあげたのは次の2点である。
・北方海域の開拓と入植。(対ロシア)
・沿海州における国境の策定を有利にすすめる。(対女真)
純正は知っていた。すでにロシア・ツァーリ国のコサック兵イェルマークが東進を開始している。史実では1598年にシビル・ハン国を滅ぼして、1636年には太平洋岸へ達するのだ。
沿海州にいたっては、5年以上早くヌルハチが建州女真を統一し、おそらくあと5~10年で女真を統一するだろう。そうなってくると沿岸部の領有権や、国境問題が出てくるのは明らかだからだ。
純正は緊張感を持って、議論を進める。
「我が国は東進してくるロシアと、近く女真を統一するであろうヌルハチの、二つの脅威に処さねばならぬ。北方の開拓と入植を進め、沿海州における国境を有利に策定することが重要である」
直茂が聞いてくる。
「よろしいでしょうか。あの広大な大地を十年でまとめ上げるとは、ヌルハチとはそこまで有能な男なのでしょうか? 加えてロシアとは如何なるものでございますか? ポルトガルともイスパニアとも違うのですか?」
「直茂よ、ヌルハチの才は希有なのだ。祖父や父でさえなし得なかった建州女真を五年で一統し、その勢いは衰えぬ。明との交易を独占して、その利害から他の女真を攻め滅ぼすのは目に見えておる。明としては女真の力が大きくなりすぎるのは警戒せねばならぬが、張居正が死んで中は粛正の嵐にて、それどころではなかろう」
張居正が存命で強力なリーダーシップを発揮していたなら、ヌルハチの勢力拡大もここまでではなかったかもしれない。しかし死んでしまった。張居正の派閥は軒並み粛正され、賄賂と堕落が|蔓延《はびこ》っている。
明の国力が弱まれば、相対的に女真族の勢いが強くなるだろう。女真を統一すれば後金の建国である。そうなる前に沿海州における勢力を確固たるものにしておかなければならない。
「ロシアはポルトガルやイスパニアよりはるか北にある大きな国よ。このごろ、その主な産物である毛皮が減り、それを求めて東へ進んでいるという報せを聞いておる。ここ一、二年の話ではなかろうが、備は要るであろう。何事も備えあれば憂いなしじゃ」
純正は続けてロシアについて説明した。
「うべなるかな(なるほど)。して、つぶさには如何に進めるのでしょうか」
直茂の問いに即座に純正は答えた。
「うむ。まずは湊を整えねばならぬな。いま小樽の湊では、ようやく我が艦隊の修繕ができる大きさの船渠ができあがり、湊としての役割も十分にこなせるようになってきた」
誰もが純正の話に真剣に耳を傾ける。
「湊は入植における重き足溜り(重要拠点)となるが、まずは北方艦隊の報せによって入植を進めている北領掌、狩海、勘察加市の開発を促す。特に北領掌は小樽と同じように修繕できる湊とする」
全員が深くうなずき、さらに問いかけた。
「開発を進めるには、多くの人夫に資材が要りましょう。つぶさには(具体的には)如何に手配を進めるのでしょうか?」
「まず足溜りとなるのは小樽である。小樽を足溜りとして資材を運び人を乗せて移す。速やかに優れた職人と人夫を現地に送り込み、早急に街道を整え、小樽とその三つの湊との航路を切り拓くのだ」
海軍大臣の深堀純賢が尋ねる。
「北方戦力としては如何ほどを考えているのですか?」
「うむ、良き問いじゃ」
今は外敵がいないとしても、ロシアも太平洋艦隊を編成して設置するのだ。そうじゃなくても北方開拓には大量の艦艇が必要となる。
国交省の管轄ではあるが、輸送や運搬に関しては海軍も協力しているのだ。
「それについては、当面は越中岩瀬の第三艦隊を充てようと考えて居る。先は二個ないし三個艦隊で北方艦隊を編成し、ロシアや女真の勢力に備えようと思う。これは陸軍も同じだ。まず各湊に大隊もしくは連隊規模の兵を置き、これも越中富山城下の第五師団を充てるとする」
「承知いたしました」
純賢が自分の考えと同じ事をいったので、陸軍大臣の長与権平は黙って頷いた。
「北方開拓においては、現地の寒さと天気に処すための策が重きをなす。アイヌの人達を雇い入れ、北加伊道で働いてきた者達の考えも取り入れて、日々の営みや生業に要する道具や建屋を備えねばならぬからな」
深堀純賢が確認するように尋ねる。
「現地住民との関係については如何に?」
「それも重き題目である。現地民の助けなくして入植など能わぬからな。幸いにして皆友好的で与しやすいとの報せ故、心配はないが、くれぐれも力による制圧など、あってはならぬぞ」
「はは」
返事とともに純賢と権平、そして国交大臣の遠藤千右衛門が頷いた。
次回693話 (仮)『天然痘ワクチンと北条氏規』
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