弘化四年十月十一日(1847/11/18) 夜 玖島城下
「こ、これは……あれは何ですか?」
すでに夕方だったために、川棚から玖島城下へ向かい、登城するのは遅かった。そのため1泊して、翌朝登城しようというのだ。
「ああ、ガス灯ですね。まだ一般には出していませんが、ゆくゆくは各家庭、旅籠や飯屋などにも流す予定です」
「なんと……ガス灯?……これはもしや、石炭のガスでございますか?」
「さすが蔵六殿! いかにも、石炭を乾溜してコークスにする際に発生するガスを……おおっと失礼! これは明日、それ以降に」
「は、はい。承りました」
(それにしても、こう何本も灯明を設けているとは……。蝋燭と比べてめっぽう明るいという訳ではないが、それでもこれは……)
蔵六にとって、見るもの全てが興味の対象であった。
実際のところ、この時点ではコスト高であった。ロウソクを1晩つけっぱなしにするよりも高くついていたのだ。イギリスでは都市部では各戸に普及して安価で提供できたようだが、この大村藩ではどうであろうか。
※ロウソク1本(1晩)……381文。
今後実用化されるアーク灯は、アメリカではガス灯のコスト高が一因となって普及する。しかしイギリスでは安価なガス灯との競合があって、普及が遅れるのだ。
■翌日 玖島城 <次郎左衛門>
「長州藩士……もとい、生まれは防州にて適塾の門下生、ただいまは長崎の奥山静叔塾に遊学しております、村田蔵六にございます」
ああ、そうか。この時はまだ藩士じゃなくて、村の医者なんだな。
「太田和次郎左衛門である」
年齢よりも格式が重んじられる世の中だから、堅苦しくてもこう答える。弟の隼人と蔵六さん(大村益次郎)が並んで座っている。
隼人は正対しているが、蔵六さんは体を伏せたままだ。
「苦しゅうない、面をあげよ」
「はは」
面をあげた蔵六さんをみて、ああ、ウィキの通りだ、と思った。昔の肖像画って誇張したりする事多いと思ったけど、まんまやん。
「ごか……」
隼人が御家老様、と言おうとしたので止めて、首を横に振り縦に振って『兄上』と呼ばせた。人払いをしているし問題はない。
「兄上、実はここに参りましたのは、ここにおられる蔵六どのに、その……我が藩のどこまでをご覧に入れて良いものかどうか、判断に困った故にございます」
「うん、だろうね。確かに……難しいかな。ちょっと微妙な問題。うーん」
さて、この蔵六さんだけど、もともと大村に来る予定じゃなかったんだよね。ああ、まあそりゃあ当たり前か。長崎に遊学した後は適塾に戻る。
3年後の嘉永三年(1850年)に地元(周防)に戻るんだけど、そのまた3年後の嘉永六年(1853年)に、ペリー来航の影響で宇和島藩に出仕する。その後江戸に行く。
あ、宇和島に行く前に地元で結婚するな、確か。
宇和島藩お抱えの身分のまま、幕府の蕃書調所(洋学研究教育機関)教授方手伝になった後、講武所教授となっていく。
そして万延元年(1860年)に長州藩士となっていったん長州へ戻る。ざっとこんな感じだ。要するに、ここで見聞きしたことが、どう影響するかを考えなくちゃいけない。
単純にこのままいくと、幕府と宇和島藩と長州藩の、洋学レベルのアップ(史実以上)と軍事力アップ(史実以上)になるよな?
いや、見聞きしただけじゃそうならない。
逆に警戒心を他の藩に持たせるだけだ。今のところ、佐賀藩は若干気付いて反射炉の建設と種痘の導入を図っているようだけど。
「さて、蔵六殿。蔵六殿は何が知りたい?」
「は。さればこの蔵六、この大村で見聞きするもの全てが珍しく、初めてのものばかりにて、時の許す限り、見て回りとうございます」
「ふーん。具体的にはどれくらい?」
「は。それは長崎の静叔先生には、好きなだけ見て聞いて学んでこいと、お許しをいただいておりますゆえ、得心のゆくまでと」
「そうか。で、その間の旅籠代に飯代その他はいかがいたすのだ? 客人ゆえ一日二日はよいが、さすがに初めて会った他藩の者に、銭を融通するのは難しいぞ」
大村益次郎! 本当は喉から手が出るほど欲しい人材だ。
でももしかすると敵対するかもしれない藩に、技術を流出させる事になるなら……どうなんだ?
「そ、それは……いくぶんかは仕送りがございますゆえ」
「なるほど、ね。隼人、仮に一通り見せて回ったとして、どのくらいかかる?」
「そうですね。二日、ないし三日あれば一通り見て回れるかと」
「そうか。そのくらいならいいか。蔵六殿、見回りを許します。これを」
俺は近習に紙と鉛筆をもってこさせた。
村田蔵六殿
右の者、藩内における精煉方、医学方、殖産方の建屋ならびにその備え、自由に見聞きする事を許す。
弘化四年十月十二日
大村藩 家老
前川次郎左衛門 花押
(隼人! 言って良いことと悪い事はわかるな? 詳しいしくみや材料、分量などは話すでないぞ!)
(かしこまりましてございます!)
■京都 岩倉邸 <岩倉具視>
「おや? 次郎殿から文が届いているではないか。なになに……」
拝啓
立冬のみぎり、岩倉様におかれましては、いよいよご健勝のことと拝察申し上げ候。
さて今般、日ノ本においても外患ありて、異国への備えいよいよ重しと存じ候。
しかしてそれに処するは、ひとえに人材と存じ候へども、家格と習わしのみにこだわりては難しと存じ候。
家格に拠らずとも、才ある者を用いて改革を促す必要ありと存じ候へども、なかなかに難し事に御座候。
岩倉様におかれましては、まずもって関白鷹司政道様の歌道に入門される事をお勧めいたし候。
恐惶謹言。
弘化四年十月十二日
大村藩家老
太田和次郎左衛門
なになに……家柄関係なく人材を登用するべし、とな。
おお、さすがは次郎殿じゃ。大村藩においては地方の給人から藩主の目にとまり、執政となってからは人材の育成と登用も積極的に行っていると聞く。
……関白様? 歌道がどうしたのじゃ? あ! ……なるほど。まずは歌道に入門して関白様の知己を得、そこから建言するべしという事だな。
そもそも今のままでは、建言すらままならぬ。
お、なにか荷物がついておるぞ。
ジャラジャラ……。
なんと! 金まで用意してくれるとは! さすがは次郎殿じゃ。
次回 第88話 (仮)『信之介、ボルタ電池にダニエル電池……炭素アーク灯への道』
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