第248話 『公武合体と龍馬。アギとアザ』

 万延元年六月三日(1860/7/20) 江戸城 評定部屋 

「出雲守殿、件の公武合体は進んでおろうか」

「は、御大老様発案のとおり奏上いたしましてございます」

 久世広周は安藤信正の問いに短く答え、続けた。

「して、その策は成るとして、公議政体における政権運営については如何お考えなのですか」

「公議輿論か……」

 信正は顎に手を当て、しらばく考え込んだ。

「そうよの。確かに、朝廷や諸大名の意見を広く聞くことは大切じゃ。然れどそれを|則《のり》(基準)として政を行えば、かえって危うくなるのではないかと懸念しておる」

「御懸念はごもっともでございます。然れど今や天下の形勢は刻一刻と変わっております。公儀だけでなく、朝廷や有力家中の考えも取り入れることで、より適切な判断が能うのではございませぬか」

 久世広周は慎重に言葉を選びながら答えた。

「そうかもしれん。然れどわしは考えたのじゃ。ペリー来航の折り、前代未聞の事ゆえ、亡き伊勢守様は、諸家中はもとより市井の者どもにまで考えを募った。然れど果として正しき答えが見つかったか?」

「……」

「公儀輿論は確かに聞こえは良い。然れど答えが出るまで時がかかるのは無論の事、正しきかどうかはやってみなければわからぬであろう? ペリー来航の際は正しき報せが乏しかった故に、背に腹は代えられなかったのであろう……。考えを聞かねばならぬ時はあろうが、常にではない。今まで通り我らが決め、通達すればよいのだ。それが無理難題でなければ、問題なかろう」

「……うべなるかな(なるほど)。ご慧眼、恐れ入りまする」

「うむ。輿論にてやるは良いが、数の多き考えが必ずしも正しいとは限らぬし、全員が得心するものでもない。少なき考えの者は得心せぬでな」

 ■大村藩庁

「なに? わしに来客じゃと?」

「はい。先日筆頭家老様より文にて報せがあった方々にございます」

「ふむ」

 江戸を発った次郎は参内するため京都へ向かい、そこから飛脚で下関、門司からは電信で届いた。電信で送る事が分かっているから短文である。海底ケーブルは調査が終わって工事に入っているが、未だ未完了であった。

 陸上の電信敷設に関しては、大阪~京都~東海道~江戸の路線を幕府と諸藩の負担で行う事が、井伊政権の時に決められて実行されている。

 大阪から山陽道を経て長州までは、大村電信公社の負担もしくは各藩の協力の上で行う事が決定した。

 ・工事費は大村電信公社が全負担で、地代のみ各藩(天領があれば幕府)が徴収する。
 ・工事費を折半もしくは協議で割合を決定後、定期的に利益分配。地代は各藩ならびに幕府が徴収。
 ・万延元年十一月完了予定。1万8千400両。

 発 次郎左衛門 宛 鷲之助殿

 公儀より家中へ特別なる人物を遣わすとの由、お頼み申す

「ああ、そう言えば……よくわからん文が来ておったな。また次郎の、いや筆頭家老様の事ゆえ何かお考えがあるのであろうが……」

 冨永鷲之助は、次郎が家老になる前から親交があり、一之進がタイムスリップしたり、お里が転生してときに便宜を図ってくれた間柄である。その交友は今も続いていた。

「久留米有馬家中、真木和泉にございます」

「福岡黒田家中、平野国臣にございます」

「土佐山内家中、武市瑞山にございます」

「同じく岡田以蔵にございます」

「同じく久松喜代馬にございます」

「同じく島村外内にございます」

「水戸徳川家中、藤田小四郎にございます」

「ほう……家老格城代、冨永鷲之助にござる。……人数が増えたのでござるか」

「それが、恥ずかしながら某、公儀の命により遊学せよとの事にて、他の方々ともつい先だって見知ったのでございます」

 真木和泉がそう答えると、『それがしも同様にございます』と全員が口々に言う。

「申し訳ございませぬ、ここな以蔵と喜代馬、外内は某の連れにございまして、お気遣いには及びませぬ」

「そうは参りませぬ。お連れの方は同部屋にはなりますが、いずれ部屋を用意させるといたしましょう」

 ■数日後 川棚港

「これは城代様、ご苦労様にございます」

「うむ。出迎え大儀である」

 川棚港は軍港であり商港である。もともと藩の港として栄えてはいたのだが、川棚工業地帯ができ、造船所ができて海軍伝習所ができてからは、軍港としての色合いを強くしてきたのだ。

 たくさんの商船の他に、煙を上げる軍艦が多数停泊していた。

「方々、ご覧ください。あれが我が家中が誇る蒸気船、蒸気軍艦にございます」

 鷲之助は次郎からの紹介という事と、幕府の思惑が重なっているから敬語である。どうにも接し方がわからない。

 鷲之助の言葉を聞いた7人は、複雑な表情を浮かべながら港に停泊する蒸気軍艦を見つめた。

「城代様、これらの船は確かに立派に見えます。然れど斯様な異国の技を取り入れることについて、朝廷は如何にお考えなのでしょうか」

 真木和泉が慎重に口を開いた。

「ふむ、朝廷にござるか。幸いにして我が家中は、筆頭家老の六位蔵人様のお陰で太閤鷹司政通様、岩倉右近衛権少将様にも懇意にしていただいております。また医学方総奉行の尾上一之進の責により、九条権大納言様の御典医待遇にて務めております(史実では昨年8月死去)。某の元には、我が家中が為す事に朝廷の不平不満は一切聞き及びませぬ」

 平野国臣が慎重に言葉を選びながら尋ねる。

「城代様、朝廷との関係が深いとのことですが、斯程に異国の技を取り入れることについて、朝廷の方々は真に何も仰せではござらぬのでしょうか」

「……それは、某の言葉が信じられないという事でしょうか?」 

「いえ、決して然様な事は……城代様のお言葉を疑うつもりは毛頭ございません。ただ、斯程に異国の技を取り入れることに、朝廷の方々が全く意見をお持ちでないとは……」

 平野国臣は、鷲之助の言葉に動揺を隠せない様子で慌てて答えた。

 それを聞いて武市瑞山が口を挟む。

「そうです。我らが京で耳にする話では、朝廷内にも異国の技に対して様々なお考えがあるとか。全くの無関心とは……」

「あれ! ? アギやんか? なんしゆうがや? よう見たら以蔵もおるぜよ! おおいアギ! 以蔵!」

 外輪船が旧式化したので練習艦とされ、海軍伝習過程、海軍兵学校の生徒が実習授業で使っていたのだ。その初代飛龍(外輪73.5t)の艦上から声をかけたのは、土佐藩の藩命で大村に来ていた坂本龍馬である。

 後藤象二郎は初回交渉後に一度土佐に帰ったのだが、龍馬はそのまま伝習所へ入学していて、たまたま甲板自習中であった。

 瑞山と以蔵は、突然の呼びかけに驚いて振り向く。

「アザか! ?」

 武市が驚きの声を上げると『おお、龍馬!』と以蔵も声を上げた。二人は思わず艦の方へ歩み寄ろうとしたが、すぐに我に返り、鷲之助の方を振り返る。

 鷲之助は少し驚いた様子だったが、すぐに落ち着いた表情に戻った。

「ほう、知り合いか。龍馬殿なら、確かに我が家中の海軍伝習所で学んでおられるはずじゃ」

「申し訳ございません。土佐の同郷の者でして……」

 瑞山は鷲之助に向かって丁寧に頭を下げて説明を始めた。

「おう、アギ!  以蔵!  こっちに来いや!  驚くぞ、この船!  凄いもんぜよ! 鷲之助様、えいかね?」

 鷲之助は微笑みながら言う。

「構わぬ! ささ、行ってみるがよい。龍馬殿の話を聞けば、我が家中の取り組みがより心得る(理解する)やもしれぬ」

 瑞山と以蔵は互いに顔を見合わせ、少し戸惑った様子だった。

「城代様、我々もお話を伺ってもよろしいでしょうか」

 平野国臣が口を開くと鷲之助はうなずいて答えた。

「無論じゃ。皆で行こう」

 どんな化学変化が訪れるのだろうか?

 ■鹿児島城

「さて、よくもまあ都合良く船の食料が足りなくなるものよのう」

 イギリス船入港の願いを聞いたときの斉彬の第一声であった。

 次回 第249話 (仮)『尊王攘夷思想』

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