第1話 『扉』2024年6月8日(土)

 2024年6月8日(土) 九州大学

「であるからして、九州地方、特に長崎県の西彼杵半島においては平野部が少なく、特に西岸の角力すもう灘沿岸には……」

 講義の時間が終わり、片付けをする生徒達が目立つ。考古学の非常勤講師である中村修一は、ふうっと息を吐いてテキストを閉じ、閉講の挨拶をした。

 明日は日曜日か。久々に実家に帰るついでに寄ってみるか。
 
 そう考える修一であったが、趣味の古墳巡りと、いつか自分の持論を立ち上げて、考古学業界に風穴を開けてやろうと考えて十数年……。

 未だ達成できず、である。

 教室を出て、長い廊下を歩きながら思索にふける。十数年をかけた研究が、まったく日の目を見ていない事に諦めと苛立ちを感じつつも、まだ情熱は衰えていない。

「ふふふ、まあ、野望っていっても、すでに趣味みたいになってるけどな。古墳巡り……」

 研究というのは邪馬壱国論争である。

 大きくは九州説と近畿説に分かれているこの論争は100年以上続いているが、未だ明確な証拠も出ず、決着がついていない。修一は自分の発見として、決定的な証拠を見つけたいと願っていた。

 基本的には九州説を支持しているが、どちらの説も一長一短で決め手に欠けるのだ。修一は未発見の古墳に重要な手がかりが隠されているのではないかと考え、独自に調査している。

 ちなみに世間一般では邪馬台国、と呼ばれているが、魏志倭人伝では邪馬壱国と書かれている。

 様々な中国の文献で表記や発音が違う。
 
 しかし『台』を『タイ』『ド』『ト』などと発音すれば、ヤマド国、ヤマト国などと大和朝廷を想起させてしまうので、あえて邪馬壱国と修一は唱えている。




 中央区にある自宅に帰って明日の天気予報を見ると、快晴。福岡はもちろん、佐賀、長崎も快晴で、見事に古墳日和だ。中古のハイラックスサーフには、常に発掘用品が準備してある。

 目指すのは、西彼杵半島西岸唯一の古墳群である宮田遺跡だ。長崎市外海町大字黒崎にあり、唯一内容が明らかになっている古墳時代の墳墓である。
 
 何度も行ったことがある古墳なのに、なぜか気になって忘れられない。修一は翌朝の準備を済ませ、適当に夕食をつくって食べる。動画をみつつ酒を飲み、眠くなったので12時前には寝たのであった。




 早朝に目を覚ました修一は、車に道具を積み込んで出発した。高速は使わない。もちろん下道である。暑くもなく寒くもない季節なので、窓を開けながら車を走らせる。

 心地よい風が車内に吹き込み、周囲の景色が流れるように変わっていく。佐賀に入り長崎に入り、途中で実家に寄ったが、誰もいない。出かけているようだ。

 別に用事もなかったので、そのまま車を走らせて目的地である宮田遺跡に向かった。

 道中、修一は地元のラジオを聴きながら、時折スマホのナビゲーションを確認した。山道を進み、やがて目的地である宮田遺跡に到着したのだ。
 
 古墳群の周辺は緑豊かな自然に囲まれており、静寂が広がっている。

 宮田遺跡は黒崎川の左岸に位置していて、標高20m~30mの舌状にのびる緩やかな緩斜面上にある。

 合計15基の箱式石棺が確認されていて、そのどれもが結晶片岩の板石を棺材としている。一人の首長の家族なのか? それとも歴代の首長の墓がそのまま残っているのか、まだ解明されていない。




 修一は車を停め、道具を取り出して準備を整えた。

 と、その時、大きな地鳴りがする訳でもなく、ただ体が感じてギリギリ動ける震度の地震があった。よろけた修一は車にもたれかかり、倒れないようにしがみつく。

 やがて揺れは収まり、辺りは何事もなかったかのように、静けさにつつまれた。

「いったい何だったんだ? まあ、地震は地震で、それ以上でも以下でもないけど……」

 地震と言えばつい数日前もあったのだ。自宅でパソコン作業をしていると、かなり長い時間揺れた。あまり敏感ではない修一ではあったが、それでも体に感じる地震は何回か経験している。

 しかしこの一週間足らずの間に2回も感じたのは初めてであった。

 深呼吸をして、忘れ物がないか確認をし、手に持った地図を確認しながら、足を踏み出す。古墳群の一つ一つをじっくりと観察し、メモを取りながら進んでいった。

 何度も訪れた場所であったが、地震のせいか、今日は何か特別なものを感じずにはいられなかった。なんだか変な感覚だったのだ。

「今日は何か、違う気がするな……」

 全部で15基ある古墳群を歩き回る中で、一番大きな墳墓の中に入り、石室の中で石棺付近を調べている時であった。地面にかすかな振動を感じたのだ。

「またか……」

 最初の地震と比べると弱かったので、おいおいおい、とぼやいた次の瞬間、今まで感じた中で一番大きな地震が発生した。修一は立っていることが出来ず、四つん這いになってしまった。

 ……。

 その状態のまま、頭を押さえて恐怖を感じながらも、冷静に震動が収まるのを待つしかない。

(やべえ、生き埋めになるのか……)

 ……。

 ようやく震動が収まった。幸いな事に生き埋めにならずに済んだようだ。深呼吸をして、冷静さを保ちながら、再び調べはじめた。

「ん、なんだこれ?」

 石室の壁に大きな亀裂、というより縦長の隙間があるではないか。この墳墓には別の石室などなかったはずだ。石を積んで造られた、本来知られている石室に、隙間などはない。

 地震の震動で石がずれて、中の石室が露出したのだろうか。

「これはまさか、未発見の、新しい石室か?」

 人一人が通れるような隙間ではあったが、修一は深呼吸をして、恐る恐る亀裂の中を覗き込んだ。するとやはり、奥には隠された新しい石室があったのだ。

「これは……」

 興奮を抑えきれないまま、修一は懐中電灯を手に持ち、慎重に洞窟の中へと進んだ。内部は薄暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。足元を確かめながら奥へ進むと、壁には古代の刻印が彫られているのが見えた。

「すごい……これは、文字か? 弥生時代後期から古墳時代前期に、すでに文字があったのだろうか……」

 洞窟のさらに奥に進むと、一枚の古い石扉が現れた。修一は心臓の鼓動が高鳴るのを感じながら、石扉に手をかける。するとさして力を入れていないのに、ガラガラと音を立てて開くではないか。

 その奥には、豪華な装飾が施された石棺が静かに横たわっていた。

「これは……一体……」

 修一はスマホを取り出し、写真を撮り、メモを取り始めた。石棺の蓋を少しずつ動かし、完全に蓋を開けた瞬間に目に飛び込んできたのは、まるで眠っているかのように美しい若い女性だった。

 ぎゃああああああ! 

 修一は思わず手を離し、後ずさって身構える。

 そりゃあ誰でも驚くだろう。ミイラでも何でもない。ホントに寝ているような人間がそこにいたのだから。恐る恐る近づき、もう一度石棺の中を確かめる。

 美しい長い黒髪は、肩まで伸びて自然に流れている。石棺とは違い過度な装飾品はなく、シンプルでいて気品のある装いだ。清潔感があり、自然な美しさがあった。

 生きていれば間違いなく修一の好みである。

「こんなところに人が……しかも、生きている?」

 あり得ん、あり得ん、あり得ない……。なんだこれ、ドッキリなのか? いやいやこんな一般人中の一般人、誰がドッキリするんだよ。そう修一は思いながら、頭の中を整理する。

 古代の技術? 冷凍保存? オーパーツ? 宇宙人? 様々な考えが頭を巡るが、考古学的見地からはまったく答えが見つからない。映画でもありえない。ファンタジーの世界じゃないか。

 誰かが何かのイタズラやイベントでこの石棺に入っていた? 
 
 いやいや、女性の力で簡単に開けられるとは思えない。自殺行為だ。しかし、彼女のまぶたがゆっくりと開き、深い眠りから目覚めたように彼を見つめ返した。

「ここは……どこだ? 吾は一体……」

「うわあ! しゃべった!」

 大抵の事には驚かない修一であったが、衝撃の2連続である。頭の整理が追いつかない。あまりの衝撃に、尻餅をついて言葉がでなかったのだ。

『もし幽霊を見たらどうする?』

『宇宙人を見たら? 妖怪は? どんなリアクションをとるだろうね?』

 誰もが一度はするだろう妄想に、『うーん、どうだろう。実際にその状況にならないとわからないな。でも、意外と淡々としているかも』と、仲間内で冷めた感想を言っていた修一である。

 完全に嘘だった。

 恐怖心がないなんて、とても言えない。ゴクリと唾を飲み込んで、黙ってその女性を見る。……見続ける。やがて好奇心が恐怖心を上回った。

「き、君は誰だ?」

 まるで場違いな質問である。しかしここで投げかけるべき、適切な質問などあるのだろうか。

『大丈夫?』

『何してるの?』

『誰だ?』

 どれもこれも、この状況を完全に説明するには不適切でまったく足りない。




「吾は壱与、邪馬壱国の……壱与」




 次回 第2話 (仮)『邪馬壱国の壱与』

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