永禄六年 正月 沢森城 沢森政忠
有馬義貞と大村純忠の連合軍一万が杵島から小城郡へ侵攻した。
今回の連合軍の意図は明確で、膨れ上がる龍造寺隆信の領土拡張を食い止めるためである。龍造寺は東肥前を統一し、北肥前の松浦衆を降しつつ、多方面で領土拡大をしていたのである。
三瀬の神代勝利もこれ幸いと参陣し、有馬軍五千、大村軍三千、神代軍二千の合計一万の軍勢であった。
肥前守護である大友義鎮は少弐氏再興を掲げている。にもかかわらず龍造寺氏が領土侵犯、他領侵攻を続けているため、その度に詰問・調停を行っているのだ。
しかしその内容は、龍造寺氏としては決してのめる物ではなかった。
両者の、両陣営の対立は避けられない。
「申し上げます! お味方、丹坂峠(にさかとうげ)にて大敗にございます!」
「なに? 誠か? こちらは一万、龍造寺は六千の兵力で、分があったのではないのか?」
「はい、当初はお味方優勢にございましたが、お味方の島原弥七郎様が徳島胤純に入江に誘い込まれ、討ち死にするや形勢は逆転、千葉胤連ら近隣の日和見を決めていた豪族たちが我先にと龍造寺方に味方いたしましてございます」
伝令は続けて報告する。
「鉄砲の数においてもお味方優勢、大筒においては敵方は持っておらなかったのですが、折からの悪天候、鉄砲も使えず、砲はぬかるみに足を取られて動けず、そのまま放置して逃げ出した由にございます」
戦は兵の数ではない、とはまさにこの事である。
それにしてもまずい。今回の負け戦で完全に有馬は勢いをなくすぞ。一気に滅亡とまではいかぬだろうが、防戦一方になる。
領国であった杵島郡はもちろん、藤津郡まで龍造寺の侵入を許せば、隣は彼杵郡だ。俺たちもうかうかしてはいられない。
杵島郡で唯一龍造寺に対抗できるとすれば武雄の後藤だが、有馬ならまだしも、大村のためには動かないだろう。
「千方はおるか?」
「はは、これに」
「その方急ぎ、親(相神浦松浦親)様へ、(平戸の動きに注意、南下の恐れあり)とお伝えしろ」
「それから佐志方杢兵衛殿には針尾伊賀守の抑えの件を伝え、武雄の動きも逐一報告しろ」
やばいやばいやばい、考えろ考えろ考えろ!
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